阿賀町: 歴史
町の中心である津川は会津と越後を結ぶ水陸の交通結節点として古くから栄え、江戸時代には「津川船道(ふなどう)」と呼ばれる水運業者が新潟湊との間の舟運ルートを統制していた。
明治期には古河財閥の古河市兵衛による草倉銅山の本格開発が始まり、鉱山ふもとの角神(つのがみ)には製錬所や河港が整備された。1883年(明治16年)には別子銅山に次ぐ国内第2位の産出量となったが枯渇が進み、1914年(大正3年)に閉山となった。昭和初期には森コンツェルンの森矗昶が建設責任者を担った鹿瀬ダムが完成し、豊富な電力資源と阿賀野川左岸でとれる石灰岩を利用して昭和電工(現・新潟昭和)鹿瀬工場が操業開始。鹿瀬は企業城下町の性質を持つ。さらに三川では日産コンツェルンの日本鉱業が三川鉱山を経営していた。
過去の豪雨災害時には河川氾濫が度々発生しており、平成23年7月新潟・福島豪雨や令和元年東日本台風(台風19号)でも浸水被害が出ている。
明治元年
9月22日(1868年11月6日) - 会津戦争で会津藩が新政府軍に降伏し、領地を没収される。
10月1日(1868年11月14日) - 旧会津藩領に若松民政局を設置。現町域の大部分がその管轄となる。
明治2年
5月4日(1869年6月13日) - 若松民政局を廃され、若松県が設置される。
1876年(明治9年)08月21日 - 第2次府県統合により福島県の管轄となる。現在の阿賀町の大部分もここに属した。
1879年(明治12年)01月27日 - 郡区町村編制法の福島県での施行により、福島県蒲原郡に行政区画としての東蒲原郡が発足。郡役所を津川町に設置。
1886年(明治19年)05月27日 - 東蒲原郡が新潟県の管轄となる。
2005年(平成17年)04月01日 - 東蒲原郡津川町・鹿瀬町・三川村・上川村が合併し発足。