Heimatgeschichte · Tsumagoi ·

嬬恋村: 歴史

嬬恋村: 歴史

先史時代
村内各所で新石器時代の土器・石器が出土する。

縄文時代
村内で出土する縄文土器は前期から晩期まで縄文時代全般に渡り、その様式は多彩で中部日本の様式と関東地方の様式が混在し長野県・新潟県との県境に位置する地勢からも交易や交流の中継地であったことが伺われる。1993年に今井地区東平遺跡から発掘された2つの黒色磨研注口土器(嬬恋郷土資料館所蔵、群馬県指定重要文化財)は成型後にへらなどを使用してその表面を滑らかに磨き上げ、酸化炎を用いた焼成技術によって炭素を吸着させて黒光りさせる技法が用いられている。これは大陸の影響を受けて九州から西日本を中心に広がった黒色磨研土器の様式を受け継いでいるものであり、縄文後期東日本の社会構成や技術文化の波及を考察する重要な資料とされる。

弥生時代
稲作に適さない寒冷な気候によるものか稲作に関連する弥生時代の遺構は嬬恋村では検出されていないが、弥生土器等の弥生文化の痕跡は縄文時代に引き続き出土しており、狩猟採取生活と共に畑作中心の農耕が営まれていたと推察される。なお干俣地区万座温泉の熊四郎洞窟遺跡において弥生土器や木炭が発見されており、標高1,800mの険阻な山岳地帯での定住が考え難いことからも狩猟や交易の為の峠越え等の一時利用が推察されると共に古代における温泉利用を伺わせる。

平安時代
天仁元年(1108年)に浅間山が大噴火し、大笹および大前の地区には追分火砕流が襲い、また、上野国(現在の群馬県)のほぼ全域が大量の火山灰で覆われた。

江戸時代
上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ街道が整備され、大笹には関所が置かれた。

天明3年(1783年)に浅間山が噴火し、8月5日の大噴火では鎌原村(現在の鎌原地区)が火砕流や土石流に飲み込まれ、同地区の住居は壊滅すると共に多くの住民が犠牲になった。また、同噴火によって生じた岩屑流は、鎌原、大前、大笹地区等の集落を破壊した。

大正 - 昭和前期時代
長野県との県境にある御飯岳の干俣側に硫黄鉱床が発見され、いわゆる小串鉱山として操業を開始した。最盛期には2000人程が住むある種の街を形成していたが、昭和46年(1971年)に閉山した。なお1937年(昭和12年)11月11日には、山津波(大規模な地すべり)によって死者245人他多大な被害が発生。天皇・皇后からは県に対して御救恤金2300円が下賜された。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、吾妻郡芦生田村、今井村、大笹村、大前村、門貝村、鎌原村、田代村、西窪村、袋倉村、干俣村、三原村の区域をもって成立する。
1951年(昭和26年)1月8日 - 村章のデザインと村歌「嬬恋村の歌」、新民謡「嬬恋小唄」を選定。

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Quelle: Text: Wikipedia – „嬬恋村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Rsa, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons