厚岸町: 歴史
町内にある遺跡からは縄文時代の前期または中期の住居跡が見つかっており、約6,000年前から人々がこの地に暮らし続けてきたことを示している。
江戸時代には、各所にアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎をはじめ、和人によるさまざまな記録に記されている。
厚岸の名前が初めて文献に登場するのは、寛永年間に松前藩が「アッケシ場所」を開設したという記事が残っているが、厚岸に暮らす人々について記されたもっとも古い記録は、オランダの国立総合公文書館に眠っていた。寛永20年(1643年)オランダ東インド会社所属のマルチン・ゲルリッツエン・フリース艦長率いるカストリクム号が厚岸に寄港し、当時の厚岸の様子を航海記録に残したものである。
厚岸は天然の良港にオランダの船、ロシア船, オーストラリア船やフランス船などの外国船が度々訪れて諸外国との接点になっていたほか、豊かな海の資源を拠り所とするアイヌと和人の交易の場、松前、箱館(函館)と根室、千島との中継地としての役割があった。
蝦夷三官寺の一つである国泰寺が1804年に建立されたことでも知られる。
和人が早い時期に来住したことから、本州の文化が早い時期に伝わった。そういったことで、この地域のアイヌに南部藩の神楽が伝わり、それが独自の演目を加え、「アイヌ神楽」という名前で呼ばれ、有名になった。
「歴史年表」参照
1643年(寛永20年):オランダ東インド会社所属の航海士、マルチン・ゲルリッツエン・フリース率いる探検船「カストリクム号」が厚岸湾に寄港、8月15日から9月2日までの18日間滞在。アイヌのエカシ、ノイアサック、住民等と交流。薪や水を補給し、湾内などを測量、記録に残す。
1701年(元禄14年):アッケシ場所分割し、「キイタップ場所」(現在の浜中町)開設。
1702年(元禄15年):飛騨屋久兵衛が厚岸などでエゾマツ山開発。
1779年 :ロシア人イワン・アンチーピンが上陸。
1789年(寛政元年):「クナシリ・メナシの戦い」起こる。
1791年(寛政03年):松前藩が勤場所を設置し、最上徳内が神明宮(厚岸神社の前身)創建。
1799年(寛政11年):東蝦夷地が江戸幕府の直轄となり、官船「政徳丸」厚岸入港。
1800年(寛政12年):伊能忠敬が東蝦夷地測量のため厚岸滞在。
1804年(文化元年): 幕府が「蝦夷三官寺」設置決定(国泰寺創建)。
1821年(文政04年):東蝦夷地が再び松前藩の支配となる。
1831年(天保02年):オーストラリアの捕鯨船「レディ・ロウエナ号」乗組員と詰合や足軽が交戦。
1843年(天保14年):大きな地震と津波発生(『日鑑記』に記載)。
1844年(天保15年):北方警備のため台場設置。
1850年(嘉永03年):オーストラリアの捕鯨船「イーモント号」が末広沖で難破。
1855年(安政02年):東蝦夷地が再び幕府直轄になり、箱館奉行の管轄となる。
1859年(安政06年):厚岸が仙台藩の領となる。
1869年(明治02年):蝦夷地を北海道と改め、11国86郡定める(釧路国厚岸郡設置)。北海道の分領支配により佐賀藩が支配(1871年終了)。
1872年(明治05年):根室出張開拓使庁の管轄となる。厚岸海関所設置(後の厚岸船改所、1887年廃止)。開拓使官舎を転用した「厚岸病院」設置(町立厚岸病院の前身)。
1873年(明治06年):根室支庁厚岸出張所設置(1876年に厚岸分署と改称)。
1879年(明治12年):「郡区町村編制法」により根室支庁厚岸分署廃止し、厚岸郡役所設置(厚岸、釧路、白糠、阿寒、足寄、上川、網尻の7郡管轄し、3ヵ所の戸長役場設置。ただし、厚岸区域は直轄)。
1881年(明治14年):落石村、昆布森村が根室国花咲郡に編入。
1882年(明治15年):開拓使廃止。根室県の管轄となる(三県一局時代)。
1886年(明治19年):3県廃止して札幌に北海道庁設置し、根室支庁の管轄となる。
1890年(明治23年):厚岸郡に太田村設置し、戸長役場置く。諸県の士族(440戸)が屯田兵として入地。大黒島に灯台(厚岸灯台)設置。
1891年(明治24年):釧路郡役所に厚岸郡役所が併合し、湾月町ほか3町7村戸長役場設置。
1900年(明治33年):1級町村制施行。4町7村が合併した厚岸町となる。
1914年(大正03年):厚岸—根室間で旅客自動車不定期運転開始(北海道内でのバス事業の始まりと言われる)。
1917年(大正06年):釧路—厚岸間鉄道開通(1921年に根室まで開通)。
1923年(大正12年):太田村が2級町村制施行。
1928年(昭和03年):本町地区と真竜地区を結ぶ町営渡船開始。
1931年(昭和06年):北海道帝国大学理学部附属厚岸臨海実験所(現在の北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 厚岸臨海実験所)開設。
1944年(昭和19年):大日本帝国海軍大湊警備府厚岸防備隊開隊(1945年廃止)。
1945年(昭和20年):アメリカ軍による空襲を受ける(北海道空襲)。
1951年(昭和26年):「大黒島海鳥繁殖地」が国の「天然記念物」指定。
1952年(昭和27年):「十勝沖地震」発生し、津波観測。
1955年(昭和30年):太田村南半分(本村地区)を編入合併。「厚岸道立自然公園」指定。
1959年(昭和34年):日本道路公団による厚岸フェリー開通し、「厚岸丸」就航(1972年廃止)。
1960年(昭和35年):「チリ地震」による津波来襲。
1972年(昭和47年):厚岸大橋完成。
1973年(昭和48年):「国泰寺跡」が国の「史跡」指定。
1974年(昭和49年):釧路東部消防組合設立。
1982年(昭和57年):オーストラリア、タスマニア州クラレンスと「姉妹都市」提携。
1991年(平成03年):山形県村山市と「友好都市」提携。
1992年(平成04年):「正行寺本堂」が国の「文化財」指定。
1993年(平成05年):「釧路沖地震」発生。厚岸湖、別寒辺牛湿原が「ラムサール条約」登録湿地認定。
1994年(平成06年):「北海道東方沖地震」発生。釧路湿原、霧多布湿原、厚岸湖・別寒辺牛湿原がオーストラリアニューサウスウェールズ州のクーラガング湿地及びその周辺湿地と「姉妹湿地」提携。
1996年(平成08年):厚岸町きのこ菌床センター完成。
1999年(平成11年):厚岸町カキ種苗センター完成(翌年にシングルシード方式のカキ初出荷)。
2003年(平成15年):釧路太田農業協同組合が厚岸農業協同組合と合併し、新・釧路太田農業協同組合誕生。「十勝沖地震」発生し、津波観測。
2005年(平成17年):「国泰寺日鑑記」などが「蝦夷三官寺関係資料」として国の「重要文化財」指定。
2009年(平成21年):北海道厚岸水産高等学校と北海道厚岸潮見高等学校が統合し、北海道厚岸翔洋高等学校開校。
2011年(平成23年):「東日本大震災」発生し、津波観測。
2015年(平成27年):公式キャラクター「うみえもん」誕生。
2018年(平成30年):床潭線(くしろバス)と患者輸送バス(厚岸町)を廃止し、郊外部と市街地を結ぶデマンドバスの運行を開始。
2023年(令和5年)4月1日:町内に初めてヒグマ注意報が発出(注意報等の制度は前年より北海道庁が始めたもの)。同年4月30日に解除。