添田町: 歴史
添田町では縄文時代より定住生活が始まったと考えられており、特に大字津野地区に位置する縄文後期の遺跡(後遺跡)からは、新潟県糸魚川より遠路遥々運ばれたと見られる大型の硬玉製翡翠大珠が発見されている。
かつては筑豊炭田の炭鉱が存在。
中でも町内の峰地炭鉱は、1918年(大正8年)当時、日産600トン、価格約1万円の生産量を誇る優良鉱であったが、この年、福岡県一帯に広がった米騒動(1918年米騒動)の起点の一つとなった。同年8月16日、武装した坑内作業員は炭鉱の事務所や配給所を破壊、派遣要請を受けた歩兵第47連隊と対峙しつつ町内に流れ込み、派出所や米穀店、雑貨店などを襲撃するなどして地域が大混乱となった。
栄華を誇った炭鉱群も第二次世界大戦後のエネルギー革命による石炭需要の激減により全て閉山している。1960年代には25000人ほどいた人口は半減し、2006年現在、11000人ほどとなっている。
1887年 (明治20年)添田町村、添田村、伊原村が合併し、添伊田村となる。
1889年 (明治22年)4月1日 町村制施行により、添伊田村、庄村、野田村が合併、添田村として発足。
1907年 (明治40年)1月1日 田川郡中元寺村を編入。
1911年 (明治44年)4月1日 町制施行。
1942年 (昭和17年)2月11日 田川郡彦山村を編入。
1955年 (昭和30年) 1月1日 田川郡津野村と対等合併し、新町制による添田町が発足。
2017年(平成29年)6月12日、熊谷真実がそえだまち観光大使に就任。
2017年(平成29年) 7月5日、九州北部を襲った記録的な集中豪雨で大きな被害を受け(平成29年7月九州北部豪雨)、JR日田彦山線の添田駅から夜明駅が不通となる。
2023年 (令和5年) 8月28日、日田彦山線BRT(愛称「BRTひこぼしライン」)が開業する。
※歴代町長
山本文男町政
前町長の山本文男は1971年に就任して以来、10期40年近く町長を務めた。2007年1月16日に告示された町長選挙では山本以外に立候補者が無く10期目の当選を果たし、本来ならば2011年初頭まで町長職を務める勘定となっていた。また、全国町村会の会長を1999年から2010年3月まで10年余り務め、当時全国知事会会長を務める麻生渡(当時福岡県知事)と協調して地方の声を政府に伝える役割を担っていた。
しかし、2009年に福岡県町村会汚職事件が明らかになると、事件に絡み辞任した当時の中島孝之副知事に、後期高齢者医療制度発足に際し、町村会に有利な取り計らいをしたお礼に賄賂を贈ったとして前副知事とともに2010年2月2日夜福岡県警察に逮捕され、起訴後の2月下旬に保釈。その後、解職に必要な署名が集まったとして住民団体によりリコール請求がなされ、一旦は2010年8月22日までに住民投票が行われることとなったが、同年7月5日に辞職届を提出し、同20日の臨時町議会で辞職が承認されたため住民投票は中止となった。このため、町選挙管理委員会は8月22日に出直し町長選挙を行うこととし、現職の山本は改めて立候補したが落選、新人の寺西明男が当選した。これにより約40年続いた山本文男町長による町政に終止符が打たれることになった。。