湧別町: 歴史
湧別町は、1661年(寛文元年)に全島を巡行した吉田作兵衛が作成した地図「元禄御国絵図」は現存していないが、元禄御国絵図の模写といわれるものにオホーツク沿岸の地形から不正確とはいえ「ユウベチ」と地名が記されており、この地図と同時に報告された「松前島郷帳」には、北見沿岸は西蝦夷地に含まれ、ゆうべち、のとろ(紋別弁天岬)、志よこつ、おこつぺ、ほろ内、つうへち(頓別)、そうや間の7部落が「ゆうべち」の内と記されていて、アイヌ民族の生活圏であった時代に、ユウベチ地区が北見沿岸を代表する主要地であったことを物語っている。松浦武四郎は、紀行文「由宇辺都誌(ゆうべつし)」に記している。屯田兵の入植した地であり、現在も北兵村、南兵村の地名が町内に残る。
1785年(天明5年) - 幕吏佐藤玄六郎が地理調査で、宗谷、オホーツク沿岸、厚岸を調査。検分記「蝦夷拾遺」に「ゆうべつ、川有り、暫く蝦夷の川舟通ず」とある。
1871年(明治3年) - 藤野四郎兵衛が湧別で漁業開始(生産活動の始まり)。
1885年(明治18年) - 和田麟吉、徳弘正輝、長澤久助が移住。徳弘氏が牧牛開始。和田氏が函館で種子を購入し、入植者に配布。
1890年(明治23年) - 湧別植民地決定、移住者合計9戸。
1891年(明治24年) - 湧別原野区画割完成(~学田)。
1892年(明治25年) - 屯田兵設置予定確定、網走警察署紋別分署湧別巡査駐在所設置(初行政警察)、湧別郵便局開設、道路開通、通信機関設置。
1893年(明治26年) - 移住者45戸、真言宗西本願寺説教所設置。
1894年(明治27年) - 湧別原野の貸付を受けて移住者増約73戸。上野徳三郎、礼文団体入植。
1895年(明治28年) - 4号線から川西に60人入植、四号線付近で医師高橋謙造診療開始。
1896年(明治29年) - 屯田兵兵屋工事始まる請負費約13万円、湧別神社建築、郵便為替電信業務開始、北海道同志小作人募集。
1897年(明治30年) - 紋別ほか9ヶ村戸長役場管轄より分離・独立し、湧別村戸長役場を設置する。屯田兵第一陣入植、浜市街地に屯田兵憲兵屯所設置、湧別尋常小学校開校、学田に入植42名。
1898年(明治31年) - 屯田兵第二陣到着、兵村工事完了。北湧尋常小学校新築落成、湧別小学校校舎新築落成式。
1906年(明治39年) - 二級町村制を施行し、戸長役場を廃止する。村名を湧別村とする。
1910年(明治43年) - 湧別村から上湧別村が分村、湧別村が改称して下湧別村となる。
1919年(大正8年) - 上湧別村から遠軽村(現・遠軽町)が分村・独立。
1940年(昭和15年) - 1級町村制を施行する。
1942年(昭和17年)5月26日 - 湧別機雷事故が発生。
1950年(昭和25年) - 一部を常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)に移管。
1953年(昭和28年) - 町制施行により、下湧別村・上湧別村がそれぞれ湧別町・上湧別町となる。
1998年(平成10年) - 東芭露の林道脇の沢から約30,000年前のナウマンゾウの臼歯化石が見つかる。
2009年(平成21年)10月5日 - 湧別町・上湧別町が新設合併、新町名を湧別町とする。