大江町: 歴史
=== 先史 ===
遺跡により、少なくとも後期旧石器時代から定住が確認されている。同時代の重要な遺跡として、大字左沢字木の沢(東に隣接する寒河江市内にある飛地)に存在する金谷原遺跡がある。この遺跡から当地にかなり大規模な石器製作所があったと推察されている。。
縄文時代の遺跡は、その多くが大字小見(左沢地区)から大字柳川(七軒地区)までの月布川沿いの河岸段丘上に立地する。なかでも大字橋上(本郷地区)にある橋上遺跡からは、当地が石器の産地であったことを示す出土品が確認されている。当地の石器製作は、山形県中央部の出羽山地に沿って南北に走る草薙層からもたらされた珪質頁岩を背景としたもので、同様の石器製作遺跡は、月布川流域に色濃く分布している。これらの石器製作遺跡で作られた石器は奥羽山脈を越えて宮城県の縄文時代の遺跡からも出土している
古墳の状況から、6世紀には当地が含まれる山形盆地一帯にヤマト王権の勢力が及んでいたと推察される。
646年(大化2年)までには当地を含む最上郡(現山形県村山地方および最上地方)および置賜郡(現山形県置賜地方)が陸奥国として大和朝廷の支配下に組み込まれたと考えられる。
712年(和銅5年)9月(現行の暦では10月)に越後国出羽郡(現山形県庄内地方)が出羽国に昇格。同年翌月、陸奥国より最上郡・置賜郡が出羽国へと割譲。なお、この時期、最上郡は裳上郡とも書かれていたようである。
平安時代初期の886年(仁和2年)に最上郡が村山郡(現山形県最上地方)と最上郡(現同村山地方)に分割され、当地は出羽国最上郡下となる。前述の橋上遺跡からはこの時代の竪穴建物跡も検出されている。また、寒河江市内にある飛地及び大字藤田(左沢地区)などのいくつかの遺跡において同時代の須恵器窯が検出されている。
11世紀初頭までには、当地を含む最上郡下寒河江荘(現西村山郡・寒河江市の全域および村山市の一部)は、摂関家荘園として成立していたとみられ、平安時代を通してほぼ摂関家に伝領された。
1189年(文治5年)鎌倉幕府の初代政所別当であった大江広元が最上郡下の寒河江荘および置賜郡全域の地頭に補任された。
1192年(建久3年)惣領である大江親広が寒河江荘の地頭職を相続し、以後親広の子孫が伝領。13世紀末頃、広元の四世孫元顕の代に初めて当地に入部したとされる(それまでは目代による統治)。
南北朝時代に入り、南朝方に与した元顕の子元政は1359年(延文4年・正平14年)北朝より派遣された斯波兼頼との戦で討ち死。跡を継いだ元政の子時茂は一族を寒河江荘各地に配置し、防禦に備えた。当地には次男大江元時が配され、左沢楯山城に拠った。
1368年(応安元年・正平23年)、元時は斯波最上氏との漆川の戦い(現本郷地区大字荻野)で敗れ、荻袋盾(現本郷地区大字荻野)に拠っていた次男大江冬政ら一族60数名と自刃。しかし、元時の長男氏政らは楯山城に残存し、後に左沢氏を称し国人としての独立性を高めていった。
1584年(天正12年)、最上義光の攻勢を受けた寒河江大江氏18代高基は敗走し、貫見盾(現七軒地区大字貫見)で自刃。大江氏は滅亡し、寒河江荘であった領域は全て最上氏の支配下に入る。
1600年(慶長5年)慶長出羽合戦が起こると上杉氏の別動隊により攻撃を受け楯山城は陥落する。最上氏の下では長尾右衛門が治めた。
1622年(元和8年)、最上氏の改易により、左沢藩1万2000石が成立し、酒井直次が封じられた。直次は、当初、左沢楯山城を藩庁としていたが、ほどなく小漆川城(現大字左沢字小漆川および大字本郷己字古城裏)を築城し、城下町の整備を行った。
1630年(寛永7年)、直次は嗣子なくして没したために絶家。左沢は収公され天領となり、庄内藩の預地を経て、1632年(寛永9年)に庄内藩丸岡領との交換が成立し、庄内藩領に組み込まれた。これは、肥後藩の改易に伴い藩主加藤忠広が庄内藩預かり処分となった後、庄内藩丸岡領に出羽丸岡藩1万石として封じられた処置に因るものである。
1648年(慶安元年)、庄内藩より松山藩が分知の折、現左沢(除く大字三郷)および本郷地区は松山藩領となる。
1868年(慶應4年)、戊辰戦争後の処分により天領(長岡代官所管轄)であった現七軒地区および棚倉藩領となっていた現左沢地区大字三郷が酒田民生局に移管。
1869年(明治2年)6月 - 松山藩が松嶺藩へ改称。左沢(除く大字三郷)および本郷地区は引き続き同藩所管。
同5月3日 - 火災により左沢(現大字左沢)の市街地の7割を焼失する。
同7月 - 酒田民政局の管轄区域に酒田県(第1次)が発足したことに伴い、七軒地区および左沢地区大字三郷は酒田県(第1次)所管。
1870年(明治3年)- 酒田県(第1次)が県庁移転・改称して山形県(第1次)となり、七軒地区および左沢地区大字三郷は山形県(第1次)所管。
1871年(明治4年)7月- 廃藩置県により松嶺藩領が松嶺県に移管したことに伴い、左沢(除く大字三郷)および本郷地区は松嶺県所管。
同11月 - 第1次府県統合により、現町域すべてが山形県(第2次)村山郡の管轄となる。
1876年(明治9年)- 第2次府県統合により現山形県が発足。
1877年(明治10年)- 深沢村、伏熊村、用村が合併し、三郷村(現左沢地区大字三郷)となる。
1878年(明治11年)- 郡区町村編制法の施行により、現町域が村山郡より西村山郡へ移管(同日村山郡は消滅)。
1882年(明治15年)- 小漆川村、市野沢村、上北山村、下北山村、滝野沢村、葛沢村が合併し、本郷村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、左沢村、三郷村、富沢村、小見村、藤田村の区域を以って左沢村が発足。
同 - 本郷村へ堂屋敷村、荻野村、橋上村、所部村、塩野平村、材木村、顔好村、十八才村、小釿村、楢山村、月布村、大鉢村が編入。
同 - 貫見村、沢口村、柳川村、黒森村、小柳村、小清村、勝生村の区域を以って七軒村が発足。
1896年(明治29年)8月17日 - 左沢村が町制施行して左沢町となる。
1906年(明治39年)- 年内にあった三度の火災により左沢の市街地(現大字左沢)の半数を焼失
1936年(昭和11年)6月7日 - 火災により左沢の市街地(現大字左沢)のほぼ全てが焼失。焼失建物450棟、被災人員730名、被害金額は50万円とされる
1954年(昭和29年)10月1日 - 本郷村、七軒村が合併し、漆川村発足。
1959年(昭和34年)8月20日 - 左沢町、漆川村が合併し、大江町が発足。