Heimatgeschichte · Teshikaga ·

弟子屈町: 歴史

弟子屈町: 歴史

屈斜路古丹遺跡をはじめ、町内各所に縄文時代の遺跡が残されており、古くより人が暮らしていたことが分かっており、その子孫が現在のアイヌ民族と考えられる。
江戸時代には、テㇱカカ(弟子屈=現在の弟子屈市街)やクッチャロ(屈斜路)などにアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎などの記録に残されている。
佐野孫右衛門が政府の許可を受け、1876年(明治9年)から硫黄山の試掘を始める。翌年には採掘を開始したが収益が上がらず、硫黄山は函館の銀行家山田慎によって買収される。
その後所有権は安田財閥の安田善次郎に譲渡され、
1887年(明治20年)から硫黄の採掘を開始。1888年(明治21年)には輸送のために北海道で二番目となる釧路鉄道が硫黄山-標茶間に敷設されたが、乱掘により資源が枯渇し、9年後の1896年(明治29年)には操業を停止した。
1880年(明治13年)には更科治郎が入植し、農業を開始した。
1890年(明治23年)に弟子屈御料地が宮内省御料局札幌支庁川上出張所の所管で発足したが、明治30年代までは空白状態だったとされる。その後、1897年(明治30年)の御料農地編入時に、弟子屈には林業の機関の派出所が併置された。その後、1898年(明治31年)に農業指導者小田切栄三郎が着任。農業と畜産をおこない、多くの移民を受け入れた。
1954年(昭和29年)8月14日、昭和天皇が行幸。弟子屈小学校校庭に弟子屈町奉迎場を設けて迎えた。
営林署は弟子屈の発展の象徴となっていたが、2004年(平成16年)に根釧西部森林管理署の弟子屈事務所(旧弟子屈営林署)は廃止され、2023年(令和5年)8月に弟子屈町中心市街地再構築事業により旧営林署の建物も解体された。

1903年(明治36年) - 熊牛村(現在の標茶町)から分村し、弟子屈外一村戸長役場を設置する。
1923年(大正12年) - 二級町村制を施行し、弟子屈村となる。
1943年(昭和18年) - 一級町村制施行、弟子屈村
1947年(昭和22年) - 町制施行、弟子屈町
1954年(昭和29年) - 昭和天皇、香淳皇后が町内に行幸啓。8月14日から8月16日まで3日間滞在。阿寒湖荘が行在所(宿泊所)となった。
1956年(昭和31年) - 標茶町へ一部分割。
1957年(昭和32年) - 標茶町の一部編入。

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Quelle: Text: Wikipedia – „弟子屈町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Chatama, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons