Heimatgeschichte · Reihoku ·

苓北町: 歴史

苓北町: 歴史

数百年にわたって天草の中心地だった。1205年志岐光弘が志岐六ヶ浦ノ地頭となり、坂瀬川、志岐、都呂々、富岡を含む天草下島の北部一帯を約400年統治する。
戦国時代末期には全盛期を迎える。キリシタン大名志岐麟泉はイエズス会の宣教師を招いて布教を許し、キリシタンを受け入れた。これを通じて麟泉は南蛮貿易を行おうとしたが、実現はしなかった。
江戸時代には富岡に代官所が置かれ、約270年間天草全土の郡政を治め、天草の政治、経済、文化の中心地として繁栄した。
1914年(大正3年)、1927年(昭和2年)の台風接近時には高潮の被害に見舞われ、海岸線付近の人家や田畑に壊滅的な被害が生じた。
1953年(昭和28年)の町村合併促進法施行により、天草郡坂瀬川村、志岐村、富岡町、都呂々村の4町村の合併の機運が高まり、1955年(昭和30年)1月1日、都呂々村を除く3町村が合併、苓北町が誕生した。翌年、都呂々村が編入合併され、現在の苓北町となる。

1955年1月1日 天草郡富岡町、坂瀬川村、志岐村が合併し、苓北町が発足。
1956年9月30日 - 都呂々村を編入。
1962年10月19日 - 町章を制定する。

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Quelle: Text: Wikipedia – „苓北町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: まも, Public domain – Wikimedia Commons