Heimatgeschichte · Hiroo ·

広尾町: 歴史

広尾町: 歴史

=== 茂寄村 ===
広尾は昔時「東、奥蝦夷」と称した地で、東南広尾川に沿えるアイヌが住んだ一集落である。当初松前藩士・蠣崎蔵人の給地であった。幕吏・小林卯十郎が海に沿って東行釧路に達する新道を開くに及び、始めて陸路交通の便を得る。寛政の頃から十勝国全部をトカチ場所と称し、会所を広尾に置いて支配人に納税や宿泊等の取扱いをなさしめた。
安政6年、仙台藩の領となり、目付、代官、勘定方等が人夫を伴い来て丸山の麓に陣屋を構え、農家、大工、木挽等を移住させ、穀菜等の試作をなさしめる。同年9月鹿児島藩領となり、同年転じて田安、一橋両侯家に分属され、田安家はビホロ川以北モンベツ川の間を領し、役宅を茂寄に、一橋家はビホロ川以南よりビタタヌンケまでを領し、役宅を音調津に設けた。1871年、田安、一橋両家の支配を罷めた。

縄文時代より栄える。装飾、石器などが発見されている。
1630年(寛永6年) - 十勝神社の戸賀知明神社の創建。
1630年(寛永10年) - 近藤重蔵が広尾郡の西隅にあたるビタタヌンケとルベシベツの間にルベシベツ山道を開削する。
1636年(寛永12年) - アイボシマ付近の採金がはじまる。
1822年(文政4年) - 再び松前藩領へ。
1859年(安政6年) - トカチ陣屋が作られる。
1871年(明治4年) - 浦河郡役所広尾出張所を置く。
1875年(明治8年)1月 - 茂寄郵便局を設ける。2月戸長役場を置き、広尾、当縁二郡を管轄する。
1887年(明治20年) - 釧路郡役所の管轄となる。
1897年(明治30年) - 河西支庁の管轄となり、戸長役場の管轄区域を改め、当縁郡を割き、管轄を広尾全郡とし、茂寄村役場となる。
1899年(明治32年)4月 - 釧路裁判所茂寄出張所を置く。
1906年(明治39年) - 広尾郡茂寄村(もより)、当縁郡(とうぶい)大樹村、歴舟村(べるふね)、当縁村の一部が合併、二級町村制、広尾郡茂寄村が発足。
1926年(大正15年) - 広尾村に改称。
1928年(昭和3年) - 広尾郡大樹村(現大樹町)が分村。
1946年(昭和21年) - 町制施行、広尾町となる。
1984年(昭和59年) - ノルウェーのオスロ市からサンタランドの認定を受ける。
2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症対策のための市内の小・中学校で臨時休校を実施。十勝港祭りなどのイベントも中止された。

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Quelle: Text: Wikipedia – „広尾町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Yasu (talk), CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons