吉富町: 歴史
1876年(明治9年)江戸時代から明治4年までは中津藩、その後の廃藩置県にて中津県となり120日後に小倉県に編入、その小倉県も明治9年には廃止され、 明治9年に福岡県へ併合される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上毛郡幸子村・別府村・楡生村・今吉村・鈴熊村・土屋村・直江村・広津村の区域をもって東吉富村が発足。
1896年(明治29年)
4月1日 - 郡の統合により所属郡が築上郡に変更。
5月1日 - 高浜村と合併し、改めて東吉富村が発足。
1942年(昭和17年)5月19日 - 東吉富村が町制施行して吉富町となる。
当初は新吉富村、大平村と合併協議を進め、新町名「大富町」と決定していたが、新庁舎の位置を巡って3町村が対立した上、同時期に大平村で不祥事が発覚した。その影響で協議が紛糾する事態となり協議会が解散した(新吉富村と大平村は2005年10月11日に合併し上毛町となった)。
吉富町は豊前市と合併協議を行っていたが、2007年8月に合併協議は白紙となった。
2007年2月26日、福岡県知事から、合併特例法に基づき豊前市との法定合併協議会設置を全国で初めて勧告された。これにより豊前市との合併協議が進展することとなったが、上記にあるように中津市との合併意見や単独町制を望む意見も根強く、豊前市との合併は住民の意見を無視しているとの批判も大きかった。しかし、豊前市議会と吉富町議会は法定合併協議会設置案を賛成多数で可決し、4月1日に合併協議会は設立された。
2007年4月22日、豊前市との合併に反対する今冨寿一郎が合併容認派の中家一(前町長)を破り、町長に当選。同日施行された町議会議員選挙でも合併反対派が躍進する結果となった。
2007年8月11日、吉富町長今冨寿一郎(当時)は豊前市との合併協議を凍結する意向を固めたため、合併協議は事実上の白紙となった。豊前市長釜井健介(当時)は今冨氏を批判した。
中家一(不明 - 2007年4月30日)
今冨寿一郎(2007年5月1日 - 2019年4月30日)3期
花畑明(2019年5月1日 - )