豊丘村: 歴史
1万年以前の旧石器時代から人が住みつき、土地の利を生かした独自の暮らしを拓いてきたとされ、村内各地の遺跡からは、縄文時代の土器や土偶、古墳時代の須恵器などが多数出土している
中世に入ると上代の伴野座の中心地域であり、平安時代は上西門院の御領地となった。鎌倉時代に入り、地頭小笠原長清によって管理され、のち知久氏の統治するところとなり、吉野、室町の両時代を経過する。 戦国時代は、武田、織田、豊臣諸氏の支配下にあるが、江戸時代、徳川氏の政治が安定するに及んで河野、堀越、田村は阿島の知久氏の知行所となり、林は幕府の直轄地 (天領)となって、飯島公芝連吉代官所の支配に属す。また、伴野、壬生沢、福島は美濃高須藩松平氏の所領となって、山本村の竹佐代官の支配下になる。
1871年(明治4年)虻川以北の地域が伊那県に、以南の地域はが名古屋県に属していたが、全地域が筑摩県下に編入される。
1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡林村・田村村・供野村が合併して神稲村となる。また、筑摩県伊那郡河野村・部奈村・峠分・福与村・長峰柄山分・中山分が合併して生田村となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 神稲村及び生田村が長野県の所属となる。
1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により神稲村及び生田村が下伊那郡の所属となる。
1881年(明治14年)11月9日 - 生田村の一部が分立し、残部が河野村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、神稲村及び河野村が単独で自治体を形成する。
1955年(昭和30年)4月1日 - 1953年の町村合併促進法の施行により神稲村・河野村が合併して豊丘村が発足、現在に至る。
1961年(昭和36年)6月27日 - 「三六災害」が発生。豊丘村内で死者2名、家屋被害492戸の被害。
1975年(昭和50年) - 合併20周年、村章が制定される。
1980年(昭和55年) - 満州移住、三六災害により過疎化の進んだ野田平地区の集団移住が完了。
1984年(昭和59年)5月12日 - 鬼面山にて大規模な山火事が発生。5月14日にかけて2昼夜燃え続けた。焼失面積40ha、被害総額3,000万余円(当時)。
2003年(平成15年)12月19日 - 田中康夫県知事(当時)の「脱ダム宣言」を受けて、長野県は村内に建設が計画されていた郷士沢ダムの事業中止を指示した。翌年、国土交通省は2004年度ダム関係事業費の配分を見送ることとなり、事実上郷士沢ダム建設計画は頓挫した。
2008年(平成20年)8月29日 - 豊丘村を中心に局地的に降った雹により、りんご、市田柿をはじめとする果樹、野菜など農作物が被害額5億円を超える大規模な損害を受けた。後に募金や復興イベントなどが行われた。
2010年(平成22年)7月1日 - 村政施行55周年を記念し、マスコットキャラクター「だんQくん」とロゴマークを制定。
2015年(平成27年)10月18日 - 福島区千駄木に福島てっぺん公園がオープン。長野県より、信州ふるさとの見える丘に認定。
2018年(平成30年)4月27日 - 村道竜東一貫道路沿いに道の駅南信州とよおかマルシェが開駅。
2021年(令和3年)3月 - 村内におけるリニア中央新幹線(伊那山地トンネル)の工事が戸中非常口掘削を皮切りに本格化する。