池田町 (北海道): 歴史
1879年(明治12年)に山梨県出身の武田菊平が入植、その後1896年(明治29年)に開墾が始まり、前述の「池田農場」や高島嘉右衛門による「高島農場」が設置された。
1899年(明治32年) 凋寒外13カ村戸長役場が設置される。
1906年(明治39年)4月1日 凋寒村(しぼさむ)、蝶多村(ちょうた)、十弗村(とおふつ)、様舞村(さままい)、誓牛村(ちかうし)、信取村(のぶとり)、蓋派村(けなしは)、居辺村(おりべ)が合併。凋寒村となる。
このころの凋寒村の中心は利別太(現在の利別)におかれていたが、利別太は十勝川と利別川の合流点にあたり、十勝地方の和人による開拓においては水運による物資輸送の中継地点として大きく栄えた場所であり、役場や学校も置かれていた。鉄道開通直後の1906年(明治39年)末当時の凋寒村の人口は7,165人であり、同時点の帯広町の人口(4,249人)をも凌ぐ、十勝1位の規模であった。
1913年(大正2年)4月1日 川合村(かわあい)に改称。同年、村内の大字を以下のように改称。
凋寒村 → 川合村、蝶多村 → 千代田村、十弗村 → 東台村(とうだい)、誓牛村 → 近牛村、蓋派村 → 大森村
1922年(大正11年)8月20日 - 8月25日 大雨による洪水被害。十勝川水位が池田付近で1丈7尺(5.5m)、千代田・利別・川合地区が一大湖沼と化し、市街全域が腰までつかる洪水被害。17箇所の避難所設置され、857名収容。炊き出しが実施された。
1925年(大正14年)4月1日 士幌村(現士幌町)に一部を分割。
1926年(大正15年)7月1日 町制施行、池田町に改称。
1933年(昭和8年)6月1日 大字居辺村の一部(下居辺地区)を士幌村へ編入。
1939年(昭和14年) 町内の大字を行政字とした上で再編。
1947年(昭和22年)12月31日 一部を幕別町へ編入。
1952年(昭和27年)3月4日 - 十勝沖地震が発生。町内の家屋に被害多数。
1954年(昭和29年)8月17日 釧路市から帯広市に向かう昭和天皇、香淳皇后のお召し列車が池田駅に停車。駅前奉迎が行われた。
1963年(昭和38年)全国の自治体で初めて酒類試験製造免許を取得。
1964年(昭和39年)池田町ブドウ・ブドウ酒研究所設立。
2005年(平成17年)DCTgarden IKEDA設立。