南大隅町: 歴史
縄文時代早期の遺跡として大中原遺跡が、弥生時代中期の遺跡として谷添遺跡があり、この頃からの定住があったとみられる。
713年の大隅国設置時には肝属郡に属していたが、後に大隅郡(1887-1897年は南大隅郡)所属となる。平安時代からは禰寝院と呼ばれる荘園があり、これに因み、古代からこの地と縁の深い建部氏は名字を禰寝氏(根占氏とも)と名乗ることになった。こうして同氏は古代にあっては大宰府の在庁官人、郡司、そして中世にあっては鎌倉幕府の御家人として登場することになる。
16世紀末に、日置市(日吉町吉利)に移封されるまで、数百年間にわたって同氏はこの地を治め続け、日本の歴史のみならず、ヨーロッパの歴史とも繋がった。南蛮人来航の一港は、実に小禰寝港にあった。指宿市の山川港とともに、この港は明人に限らず、ポルトガル人の商人も多く来航した。
フランシスコ・ザビエルを案内したヤジロウ(アンジロウとも)は、この地の出身者でないかとも言われている。また禰寝氏は、中山王の治める琉球王国との交易にも参加した。同氏が去ったことにより、大隅南部は活気は失った感があるものの、江戸時代半ばの吉利当主・小松清香(同氏直系は彼の代に名字を小松に改め、平姓となった)は、祖先に高い関心を有し、本貫地の根占・佐多にある史跡(墓跡を含む)を整え、先祖を顕彰した。
江戸期には、薩摩藩(島津氏)が根占・佐多に外城をおき、薩摩藩直轄領となっていた。外城は、1784年に郷に名称を改め(根占郷・佐多郷)、1889年の町村制実施時に、ほぼそのままの区域をもって小根占村・佐多村となった。小根占村は1941年に、佐多村は1947年にそれぞれ町制を施行し根占町・佐多町となった。
平成の大合併では、2003年6月に根占町・佐多町・大根占町・田代町の4町で南隅地域合併協議会を設置し、合併協議を進めたものの、大根占町側の反対により、交渉は決裂した。根占町と佐多町は、2004年9月に南大隅合併協議会を設置。同年11月の合併調印式の実施・議会による議決を経て、2005年3月31日に2町は合併し、南大隅町が発足した。
町名は一般応募により決定されたものであるが、南大隅(南隅)は錦江町を含む2町を合わせた地域をさす名称でもある。
1941年1月1日 - 小根占村が町制施行。根占町となる。
1947年9月1日 - 佐多村が町制施行。佐多町となる。
2005年3月31日 - 根占町・佐多町が対等合併して新町制を施行し、南大隅町が発足。