阿智村: 歴史
古代には八意思兼命後裔の阿智祝部が当地を開発し、阿智神社を祭祀した。
村域には古代官道東山道の道筋で、美濃と信濃間にある、難所「神坂峠」、信濃側最初の阿知駅が所在していた。
難所の神坂峠を越えた、東国の山里、園原は奈良時代より和歌等の歌枕になり、歌人に詠まれた。
1573年(元亀4年) - 武田信玄が、三河攻めからの帰路、駒場で没したといわれる(異説として浪合説、根羽村説がある)。
1575年(天正3年) - 武田勝頼が、長篠の戦いで敗北して退いて来た所を、海津城代であった高坂弾正(春日虎綱)が駒場で出迎えた、とされる。
1582年4月6日(天正10年3月14日) - 天目山の戦いで戦死した武田勝頼・信勝父子の首級が、浪合で織田信長により首検分される。
1956年(昭和31年)9月30日 - 会地村・智里村・伍和村が合併して発足。
2006年(平成18年)1月1日 - 浪合村を編入。
2009年(平成21年)3月31日 - 清内路村を編入。