八郎潟町: 歴史
出羽国秋田郡大河村として成立。
1889年(明治22年) - 町村制の施行により一日市村、面潟村が成立する。
1902年(明治35年) - 奥羽本線の一日市-能代(現・東能代)間が開通する。
1925年(大正14年) - 一日市村が町制を施行し、一日市町となる。
1945年(昭和20年) - 一日市大火。一日市町598戸、面潟村94戸が焼失する。
1956年(昭和31年) - 昭和の大合併で一日市町と面潟村が合併して八郎潟町となる。
1958年(昭和33年) - 浦横町、岡本、野田の3集落が五城目町へ分町する。
1958年(昭和33年) - 八郎潟の干拓工事が始まる。
1963年(昭和38年) - 一日市中学校、面潟中学校を統合し八郎潟中学校となる。
1976年(昭和51年) - 一日市小学校、面潟小学校、高岡小学校を統合し八郎潟小学校となる。
2005年(平成17年) - 平成の大合併の議論で隣接する五城目町、井川町との法定合併協議会を廃止する。法定合併協議会から井川町が脱退する。これがきっかけで八郎潟町も住民アンケートの結果により脱退することになり、法定合併協議会は廃止となった。
2014年(平成26年) - 湖東総合病院が新築移転し、湖東厚生病院として開院。
2015年(平成27年)5月1日 - 八郎潟駅西側に八郎潟町立図書館が設立。
2026年(令和8年)2月6日、畠山菊夫町長が公務中に脳出血で倒れ、手術後も意識が戻らない状態が続いた。畠山の妻から町長の職を辞することを求める要請書が町議会議長あてに提出されたが、地方自治法の定めにより首長の家族が代理で辞職願を出しても法律的に無効であると判断された。このため、町議会は「町政の停滞を避けるための苦渋の選択」として、5月8日、畠山の不信任決議を行い、賛成多数で可決した。5月19日に自動失職が確定。6月28日に町長選挙を執行し、新人の佐藤友紀が初当選(任期は同日から2030年6月27日まで)。