長万部町: 歴史
=== 町名の由来 ===
アイヌ語に由来するが諸説あり、特定しがたいとされる。
渡島半島の地峡部に位置する長万部は日本海側と太平洋側を往来する交通の要衝として重視されている。
町制施行まで
1604年 - 松前藩の支配を受ける。
1669年 - シャクシャインの戦い。国縫においてシャクシャイン軍が、鉄砲を主力とする松前藩に敗れる。
1773年 - 番屋が建てられ飯生神社も創建された。
1799年 - 幕命により松前藩が長万部-虻田間の道路(国道37号の前身)を開削。同年、長万部は天領となる。
1803年 - 津軽藩によって長万部-虻田間の道路が改修される。
1821年 - 松前藩領に復する。
1854年 - 再び天領となり、1855年南部藩が陣屋(分屯所)を築き内浦湾の警備をさせる。
1859年 - 箱館奉行が御手作場を設け、先住民ら105戸を移住させるが数年で離散し失敗に終わる。
1856年 - 長万部から後志の歌棄(うたすつ)や寿都(すっつ)に至る黒松内越が開削された。
1864年 - 和人地となり、村並に列したことにより長万部村と称される。
1866年 - 善導寺(有珠善光寺の末寺)が開山される。
明治
1869年
9月20日、北海道11国86郡が制定され胆振国山越郡長万部村となる。管轄は開拓使。
10月18日、長万部村および山越郡全域が兵部省の管轄となる。
1870年 - 山越郡全域が斗南藩の領地となる。
1871年 - 廃藩置県により再び山越郡全域が開拓使の管轄となる。
1873年 - 函館支庁長万部出張所が置かれ、翌年名主(竹内弥兵衛)を改め副戸長に命じられる。(これが長万部町の開基である)
1874年 - 長万部五等郵便局設置。函館・長万部・室蘭・札幌を結ぶ電信線架設工事が完成。
1878年 - 公立小学校が設置、長万部学校と呼ばれる。
1879年 - 郡区町村編制法の北海道施行により、行政区画としての山越郡が発足。第六公立病院が設置。
1880年 - 山越郡全域が茅部山越郡役所の管轄となる。長万部に電信局が設置。
1882年 - 山越郡全域が廃使置県により函館県の管轄となる。
1883年 - 開進社が事業不振のため解散し、開拓農家は離散。長万部学校を公立長万部小学校と改称。
1884年 - 森警察署の分署が長万部、八雲に設置。
1885年 - 長万部大火が発生し、市街地の半分以上が焼失。長万部沖でアイヌ民族による記録上最後のクジラ漁が行われた。
1886年 - 1月26日、廃県置庁により北海道庁函館支庁の管轄となる。
1888年 - 山越郡全域が亀田郡外三郡役所(亀田上磯茅部山越郡役所)の管轄となる。
1891年 - 長万部村への移住募集広告を各県に送付。長久橋完成により長万部川の渡船を廃止。
1892年 - 国縫郵便局を開設。
1894年 - 長万部に電信局を設置。国縫巡査駐在所を設置。国縫〜瀬棚間の郵便開始。
1895年 ‐ 7月31日に火事があり、長万部市街の半分以上が焼失。長万部小学校二股分校を開設。
1897年
亀田郡外三郡役所が廃止され、山越郡全域が亀田支庁の管轄となる。
庁令により長万部村国縫に七飯警察署の分署が置かれる。
長万部小学校が新規落成。
森林監守駐在所を川向(現在の旭浜)に設置。
1897年 - 当時の東京恵比須ビール会社が製樽所を新築、事業開始。
1898年 - 戸長役場が新築。
1899年 - 亀田支庁が移転・改称し、山越郡全域は函館支庁の管轄となる。
1900年 ‐ 二股尋常小学校(後の村立双葉小学校)が開校。長万部村農会設立。
1901年 - 萱野教育所を開所。茅部・山越両郡農会を合併。
1902年 ‐ 当時、弁辺村静狩に静狩簡易教育所(後の村立静狩小学校)が開設。
1903年
北海道鉄道・森駅 - 熱郛駅間(現在は函館本線)の開通により国縫駅、長万部駅、二股駅が開業。翌年に中ノ沢駅、蕨岱駅も開設される。
二股尋常小学校知岱特別教授所(後の村立蕨岱小学校)が開校。
1905年 - 八雲、長万部、落部、森の各村を区域とした八雲片栗粉同業組合を設立。
1906年
二級村制施行、山越郡長万部村となる。
静狩金山が金鉱業整備令により休山した。
1909年 ‐ 9月9日の内閣告示第九号により、胆振種馬所を豊津に開設。
大正
1912年 - 長万部小学校に高等科併置。長万部駅消失。
1914年 ‐ 長万部小学校幌内特別教授所(後の村立共立小学校)開設。
1917年 ‐ 萱野小学校(後の村立茶屋川小学校)が開校。静狩金山に鉱区権認可。
1918年 - 境界変更により弁辺村字静狩を編入。
1919年 - 畜産市場を開設。
1922年 - 静狩湿原が国の天然記念物保有地に指定。長万部商業組合を発足。二股巡査駐在所を新設。
1923年
北海道一級村制施行。(山越郡長万部村)
国有鉄道長輪線・長万部駅 - 静狩駅間(現在の室蘭本線)が開通、旭浜駅と静狩駅が開業。長万部駅が分岐駅となる。
1924年 ‐ 長万部小学校にて衛生展覧会を開催。4065人の観覧者があった。
1926年 - 村立萱野小学校が移転改築。長万部・国縫・静狩・二股小学校に青年訓練所を併設。飯生神社が現在地に遷座。
昭和
1927年 - 静狩郵便取扱所を設置。
1928年 - 長輪線・静狩 - 伊達紋別駅間が延伸開業、現在の室蘭本線にあたる路線が全通。
1929年 - 国有鉄道瀬棚線・国縫駅 - 花石駅間が開通、茶屋川駅が開業。南部陣屋跡に忠魂碑建立。駒ヶ岳噴火により農地を失った被災者約100名が字栗の木岱(現在の栗岡)に移住。長万部魚商組合が創立。
1930年 - 国縫小学校分教場である六津特別教授場が閉鎖。
1931年 - アイヌ文化展示施設「エカシケンル」(祖先の尊き家)を開設。
1932年 - 瀬棚線が全線開通。黒松内駅構内にあった黒松内機関区が長万部駅構内に移転し、長万部機関区となる。
1933年 - 静狩金山株式会社が設立。ビート工場設置運動を開始。
1934年 ‐ 7月25日に長万部大火。99戸が焼失。長万部市街地国道幅員拡張工事完了。
1936年 - 役場庁舎が新築される。渡島管内で唯一の冷害克服特別指導村に指定。
1938年 - 長万部漁業協同組合が長万部川上流に鮭孵化場を新設。
1939年 ‐ 二股小学校所属豊金特別教授所開設。(後の大平国民学校。鉱山部落の児童のために開設。)静狩小学校の児童数が1000人を超える。国策パルプ工設置運動を開始。
1940年 - 字名改称。市街地で町内会・集落で部落会を組織。二股郵便取扱所が郵便局へ昇格。
1942年 ‐ 11月1日の長万部村人口調査時に16446人を数えた。町制施行前の人口のピークとなる。
町制施行後
1943年 - 町制施行、山越郡長万部町に青年学校を長万部・国縫の2校に統合。
1945年 - 米軍艦載機による長万部空襲。
1946年 - 町立中の沢小学校を新設。国縫診療所を設置。長万部町農業協同組合を設立。札幌鉄道局函館管理部公安課長万部支部設置。長万部民報が創刊。北海道アイヌ協会長万部支部が結成。
1947年 - 長万部、静狩、国縫、双葉の4地区に新制中学校と役場分室を設置、地方自治法の施行により、北海道渡島支庁の管轄となる。長万部町の税務署管轄区域が函館税務署より分離新設された八雲税務署へ変更。公選による初の町長選挙。
1948年 - 長万部町警察署(旧警察法による自治体警察)と長万部町消防本部を設置。日清製菓長万部工場操業開始。北海道支庁設置条例の施行により、渡島支庁の管轄となる。
1949年 - 長万部・静狩・国縫地区にて漁業協同組合4団体がそれぞれ発足。
1950年 - 北海道八雲高等学校長万部分校が開校(定時制課程のみ)、静狩湿原が国の天然記念物指定解除。静狩原野入植受付を開始。飯生神社例大祭、初の神輿海上渡御を実施。
1951年
北海道八雲高等学校長万部分校が北海道長万部高等学校(定時制)へ格上、町立豊津小学校を新設。町立国縫中学校校舎新築落成。
函館少年刑務所国縫泊込作業場が設立。1964年(昭和39年)まで収容者が砂鉄採取に従事した。
1952年
1950年に静狩湿原が天然記念物指定解除された事により5月から静狩原野開発工事に着手。
長万部高等学校に全日制課程設置。町立元町保育所 …