Heimatgeschichte · Tobishima ·

飛島村: 歴史

飛島村: 歴史

=== 沿革 ===
1693年(元禄6年) - 大宝新田を造成。
1801年(享和元年) - 熱田奉行兼舟奉行の津金文左衛門が飛島新田を造成。また、服岡新田も造成された。
1879年(明治12年) - 政成新田を造成。
1889年(明治22年)10月1日 - 海西郡飛島新田、政成新田、服岡新田が合併して海西郡飛島村が発足。
1906年(明治39年)7月1日 - 同郡宝地村の一部(大宝、八島、重宝)を編入。
1913年(大正2年)4月4日 - 海西郡が海部郡と改称され、海部郡飛島村に改称。
1944年(昭和19年) - 東南海地震にて甚大な被害が発生。
1945年(昭和20年) - 太平洋戦争敗戦までに、6軒に1人の若者が戦死。
1959年(昭和34年) - 伊勢湾台風で当時の村域の大半が水没。死者132名、住宅の全半壊・流出など722戸。人口流出が相次ぎ、村内の小中学生は一宮市、稲沢市の学校に約3カ月間疎開。
1962年(昭和37年) - 総延長8250 mの高潮堤防完成。名古屋港臨海工業地帯建設に伴い、村内海苔養殖従業者349世帯に対し、1世帯平均654万円の漁業権返上補償金が支払われた。
1971年(昭和46年) - 名古屋港西部臨海地帯の西2区・4区を編入。
2005年(平成17年)12月 - 大型コンテナ船に対応したマイナス16 m大水深の飛島ふ頭南側第1バース竣工。
2008年(平成20年) - 日本初自働化荷役システムを導入した第2バース供用開始。

かつては貧しい村であり、戦前から数度市町村合併の俎上に上るも、相手自治体から毎回拒否された。
1944年の東南海地震でも甚大な災害を被ったものの、太平洋戦争下で軍部の命令により、燈火管制を敷いている名古屋市の工場が攻撃される事を防ぐため、飛島村の田や畑に裸電球を燈して大都市を装うことで、戦争の矢面に立つことを余儀なくされ、空襲による犠牲者も多かった。
さらに1959年9月に襲来した伊勢湾台風では高潮被害などで130名の犠牲者を出し、村長が県・国に数度対策を哀願するも、財政力の弱さから、復旧は「南海作戦」と呼ばれる海上自衛隊が着手した最後の伊勢湾台風復旧事業により被災から2ヶ月後まで水が引くことはなかった。村民の流出も相次ぎ、1960年時点では、財政力指数は0.22の貧しい自治体であった。なお、筏川の畔には「伊勢湾台風殉難之碑」が建立された。
同年、当時の愛知県知事・桑原幹根により、伊勢湾台風の直撃を受けた湾岸に臨海工業地帯の建設が計画され、飛島村では1962年から1981年にかけて伊勢湾岸の埋め立てが行われた。埋め立て中の1968年には33万平方メートルの貯木場が完成し、行政権は飛島村に属することが決まった。さらに造船鉄鋼産業地も飛島村に属し、次第に裕福な村へと変貌していった。
2017年度の歳入額は約68億5000万円で、うち固定資産税は約29億4000万円、同年度の財政力指数は日本で最高位の2.15であり、「日本一の金持ち村」として、度々マスメディアで特集を組まれ紹介されている。

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Quelle: Text: Wikipedia – „飛島村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 円周率3パーセント, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons