厚真町: 歴史
町内からは約14,500年前の細石刃核も発掘されており、この地区での人々の生活の痕跡は旧石器時代から確認される。その後、縄文人やアイヌの人々が定住しており、厚真川上流域での発掘調査で数多くの考古学的発見がある。縄文時代では約6,000年前から富良野盆地周辺域との内陸交通のルート「キラキラ土器の道」が開かれていたことが判明し、約5,100年前には豊かな山の資源も加わり大型住居跡や道内唯一の「シカ塚」を伴う集落が形成されている。約850年前の擦文文化期においては宇隆1遺跡より愛知県常滑窯の壷が発見されており、奥州藤原氏との関係のあった地域として注目されている。約800年前では、道内最古の京都産和鏡や北方系資料とされるコイル状装飾品(道内最多数)が出土しており、続く約700年前では、道内唯一のスタンプ文漆器が発見され、鎌倉幕府との直接的な関係地域として注目されている。また、富里地区ニタップナイ遺跡ではシャクシャインの戦い(1669年)前後のコタン(集落)跡が発掘調査され、当時の大名や豪商が使う酒器も出土しており、この地域の力強いアイヌの姿が見えてきている。1800年(寛政12年)に南部藩士・森田勘十郎らが浜厚真に移住したのが和人入植の最初とされる。本格的な開拓が始まったのは1870年(明治3年)に新潟県人が入植してからで、この時をもって現在の農業の町・厚真町の始まりとしている。
旧石器時代のキャンプ地跡。
1669年(寛文9年)- シャクシャインの戦いが起こる。
1800年(寛政12年)- 南部藩士・森田勘十郎らが浜厚真へ移住。
1870年(明治3年)- 新潟県三島郡出身の青木与八らが浜厚真に入植。
1880年(明治13年) - 勇払郡役所の管轄となる。
1889年(明治22年) - 苫小牧外16カ村戸長役場の管轄区域となる。
1897年(明治30年) - 本町に戸長役場を置く。
1906年(明治39年) - 二級町村制施行、厚真村。
1913年(大正2年)10月1日 - 苫小牧軽便鉄道厚真駅(あづまえき、現:JR北海道 日高本線 浜厚真駅)開業。
1915年(大正4年) - 一級町村制施行。
1922年(大正11年)1月18日 - 早来軌道(後の早来鉄道、現:あつまバス)が早来 - 知決辺(チケッペ、後に厚真と改称、幌内まで延長)間を開業。
1951年(昭和26年)3月27日 - 早来鉄道線全線廃止(早来駅-厚真駅間)、バス転換。
1960年(昭和35年) - 町制施行、厚真町となる。
1998年(平成10年)7月6日 - 日高自動車道厚真IC開通。
2018年(平成30年)9月6日 - 北海道胆振東部地震により、土砂崩れや家屋倒壊等の甚大な被害を受けた。道内初の震度7を観測していたことが解析により判明。
2019年(平成31年)2月21日 - 北海道胆振東部地震の余震で震度6弱を観測した。