朝日村: 歴史
熊久保遺跡の存在により縄文時代より人が住んでいたことがわかる。古代より洗馬郷、のちの蓮華王院領洗馬荘に属していたが、安土桃山時代までは、周辺一帯は集落のない荒地であった。この地域を重点的に開拓する事になったきっかけは松本の小笠原氏と甲斐の武田氏の争いといわれる。甲斐軍の経理を担当していた上條氏と上條家から分家して武田姓を名乗った武田氏が、小笠原氏打倒の際に守護地として所領安堵されたのは現・朝日村一帯であり、その時甲斐に味方した三村氏とともに協力してこの地を切り開いた。その後の武田氏滅亡の折も、一族子孫はこの地に留まり長い歴史を刻んでいる。現代ではこれらの一族も全国に散らばっているが、それでも今もって「三村」「上條」「武田」の姓が集中しており、「清沢」姓も含め、村の大半がこの4つの名字を名乗っている。江戸時代は当初松本藩に属していたが、後に石高の調整で高遠藩に属した。現在では新興住宅地開発による移住者も多く見られ、村の景観も様変わりしてきている。
1875年(明治7年)10月25日 - 筑摩県筑摩郡針尾村、小野沢村、古見村及び西洗馬村が合併して、山本村が発足する。
1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
1878年(明治11年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、山本村が東筑摩郡の所属となる。
1883年(明治16年)2月16日 - 山本村が分割して、針尾村、小野沢村、古見村及び西洗馬村が発足する。
1889年(明治21年)4月1日 - 町村制の施行により、小野沢村、針尾村、古見村及び西洗馬村の区域をもって、朝日村が発足する。現在に至る。
2018年(平成30年)5月7日 - 村庁舎が小野沢から現在地の古見に移転。なお旧庁舎は保存も検討されたが結局解体された。