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伊江村: 歴史

伊江村: 歴史

=== 旧石器時代 - 貝塚時代 ===
旧石器時代から古代(沖縄貝塚時代)にかけての遺跡が数多くあり、特に島の南海岸の砂丘には多くの遺跡が連なる。伊江島空港の西すぐにあるゴヘズ洞穴では更新世の鹿の骨、2万年前の旧石器時代の人骨、貝塚時代前期の土器などが発見されている。

旧石器時代 : 化石人骨(ゴヘズ洞穴など)
貝塚時代前期(縄文時代) : 貝塚時代早期の土器が出土し、以後、南海岸の砂丘や台地上に遺跡がある。
貝塚時代後期(弥生時代 - 平安時代) : 前半同様、多くの遺跡があり、九州との交易が考えられている。
貝塚時代晩期・グスク時代初期(平安 - 鎌倉時代):後期、大和の奈良時代頃からヤコウガイの交易が盛んになっており、伊江島にも琉球弧最大級の貝殻遺跡がある。

伝承であり時代不明だが、力タンナーパ(力玉那覇)の伝説が城山にある。
琉球にて特徴的な、グスク時代最盛期の土盛りや石造りのグスクの遺跡は少ないが、中世琉球弧共通のグスク時代の遺物(中国などの陶磁器、滑石製石鍋、カムィ焼)が出土している。
北山世主今帰仁城は海を隔てて近いが、後北山北山王国怕尼芝が勃興するまでは、特に近隣按司との主従関係はもたず、徳之島、沖永良部島、与論島そして伊平屋島など周辺諸島との交流、ないし按司同士の小競り合いがあったと考えられている。ここまでは人口も精々数百人ほどの孤立島であった。
14世紀、怕尼芝が同族の丘春らを討ち後北山を開くと、伊平屋島とともに北山王に入貢し、その支配下に入ったと考えられている。後北山の頃から中国との交易品として伊江馬が珍重され、飼育場があったと伝わる。ノロ職も置かれたと言う。尚巴志の琉球統一により王国(北山監守)配下となるが、島の貢租は王府に直接納めていた。
なお、歴史学的に判明している最初の島司(按司)は、1559年(嘉靖38年)に任ぜられた尚清王の王子・伊江朝義である。以降琉球処分まで、琉球屈指の名家伊江御殿の差配となる。それ以前の島之主は記録には無いが、有力な根人(ネッチュ)には佐辺家があったと言う。
島司は現地には赴任しないが、他の島間切と異なり、当初按司掟(現地役人)は置かれず、ノロ(君ノロ、五ノロ)が指導していたと見られる。その後、在番が置かれた。伊江御殿が代を重ねるごとに按司家や親方が増えて支配が重層化し、琉球王府の下で年貢は重く、表向きは四公六民ながら、実態は、さまざまな別の貢租が課せられ実態は六公四民であり民は苦しんだ。羽地朝秀の改革により開墾が奨励され折目行事などの祭も許され、暮らし向きは幾分楽になったと云う。
代々伊江御殿配下は、琉球から薩摩や江戸へと公務や使節その他で航海に任ぜられた。首里在住の総地頭ら(按司)の航海に島の若衆らも随行し、一種の留学生的役割を齎した。御殿と島衆らの費用面や人的貢献も多大ながら、それは首里経由ではない島独自の大和からの文化的影響を多く齎すこととなった。

==== 帝国陸軍伊江島飛行場 ====
1943年(昭和18年)伊江島の土地を飛行場建設用地として強制接収、春から陸軍航空本部による「東洋一」とよばれる飛行場の建設に着工。東飛行場に3本、中飛行場に2本、西飛行場に1本、計6本の滑走路建設が計画された。
1945年(昭和20年)3月10日:第32軍 (沖縄守備軍) の要請に応じ、大本営が伊江島飛行場の破壊命令を通知。13日から自壊開始。

伊江島は東洋一と言われた飛行場が建設され、守備隊が配備されていたため、米軍の主要な攻撃目標とされた。4月16~21日にわたる伊江島の戦いで、一般住民約1,500人を含む4,700人余が犠牲となった。住民は沖縄戦における集団自決に追い込まれた。生き残った島民は米軍に収容され、北部の収容所や阿嘉島に移送された。

1945年4月16日、米軍上陸、その日のうちに飛行場は米軍に占領される。
1947年(昭和22年)3月11日:一部が解放される。久志村と慶良間島の難民収容所から住民が帰還し居住開始。

1948年8月6日午後5時過ぎ伊江島の波止場で、接岸していた米軍の弾薬輸送船 (LCT1141) が、積込中であった先の沖縄戦時の未使用弾および不発弾などの荷崩れを原因とする大爆発事故を起こした。沖縄はアメリカの軍政府統治下に置かれ、伊江島では不発弾処理が行われていた。弾薬輸送船には、5インチロケット砲弾約5,000発(125トン)が積載されており、多数の死傷者を出した。その日は夏休み中だったこと、たまたま地元の連絡船が入港していて多くの人が出迎えに来ていたことなどで、米軍事故調査委員会報告書によると死者107人、負傷者70人を出し、米軍統治下の沖縄で最大の犠牲者を出す事故となった。

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Quelle: Text: Wikipedia – „伊江村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Qwrert2, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons