厚沢部町: 沿革・歴史
古くは松前藩の所領。1678年(延宝6年)同藩のヒバ(ヒノキアスナロ)山開放により、この伐採のため本州から杣夫(そまふ)が渡来した。農業を副業として定着し、各河川流域の開墾が始められた。
1869年(明治2年)榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が松前藩の居城、福山城を攻略したため、松前藩主らは築城途上の館城(現在の厚沢部町城丘)に避難したが、追撃してきた旧幕府軍の攻撃で落城。藩主らは海路対岸の津軽半島に避難した。官軍の攻撃で旧幕府軍が箱館・五稜郭で降伏し、松前の所領回復後も松前藩は館城を拠点として「館藩」と名乗り、1871年(明治4年)の廃藩置県の際には青森県に属した。
1872年(明治5年)北海道開拓使の管轄となり、1876年(明治9年)俄虫村戸長役場を設置。
1906年(明治39年)4月に二級町村制を施行し、村名を厚沢部村とした。
1960年(昭和35年)字名地番改正、1963年(昭和38年)3月に町政施行し厚沢部町となり現在に至る。
1970年(昭和45年)5月12日 - 航空自衛隊の戦闘機 F-104Jが町内の山林に墜落。乗員1人が死亡。
厚沢部町では1960年7月1日に字名改正が実施された。その内容は以下の通りである。