十津川村: 歴史
村人は神武天皇東征の時に、道案内に立った八咫烏の子孫とされている。
山間部にあり農耕に適さぬ地形のため、古来免租の地域としてその時々の権力者の支配を受けずに半ば独立した村落共同体として存在し続けた。免租の特権を保証してくれる実力者側に常に出兵し、古くは壬申の乱以来幕末までこの政策は変わらなかったが、明治維新後に免租特権が廃止された。南北朝の抗争時は楠木正勝ら南朝側がここを拠点とした。以来、尊王の姿勢を明治維新まで貫いた。周囲とは隔絶した地域だったため、独特の文化・気風があり、十津川郷士を輩出した。
1863年
天誅組に十津川郷士が募兵により参加。
7月25日 - 郷章を制定。
1889年 - 十津川大水害により168人が死亡、村落の大部分が壊滅状態になり、約2500人が北海道へ移住。新十津川村を開拓。
1890年6月18日 - 北十津川村、十津川花園村、中十津川村、西十津川村、南十津川村、東十津川村が合併して、十津川村が誕生。
1892年1月25日-27日 - 小森に新庁舎ができる。
1948年10月 - 小原に役場庁舎が完成し移転。
2004年7月1日 - 「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産委員会により「世界遺産一覧表」(文化遺産)に登録された。十津川村には熊野古道小辺路と大峯奥駈道が通り玉置神社がある。
2010年9月 - 「日本で最も美しい村」連合に加盟。
2011年9月3日 - 台風12号に伴う集中豪雨により、野尻地区をはじめ広範囲で土砂崩れおよび河川の氾濫が発生。同月29日時点で5人が死亡、7人が行方不明。
== 行政 ==
議会:定数9