大蔵村: 歴史
大蔵村清水地区は、最上川の舟運の積出港として大きな規模を誇り、中世には、最上氏の一門により清水港の対岸に平山城である「清水城」が築かれ、最上地方南部の領国経営の中心地でもあった。江戸時代に最上地方の領国経営の中心が新庄藩に移ると衰退を始めるが、舟運が廃れるまでは清水河港は繁栄を続けた。出羽三山への参詣路でもあった舟形街道が通っており、本陣が置かれ、当地において酒造業も営まれた。清水河港で陸揚げされた物資は、舟形街道で羽州街道舟形宿まで運ばれ、そこから最上地方全体に運ばれた。一方、南部の肘折温泉は、湯治場として人気が高く、霊峰月山の登山口にもなっているため、現在にも続く大蔵村の最大の産業である。さらに、寒河江市との村境付近には、かつて日本有数の銅山「幸生銅山(永松鉱山)」があった。
1889年(明治22年)4月1日 - 清水町村、合海村、南山村、赤松村が合併し大蔵村が発足。
1918年(大正7年)3月頃 - 村役場が移転。
1952年(昭和27年) - 山形県による地すべり防止工事が始まる。
1974年(昭和49年)4月26日 - 赤松地内で大規模な地すべりが発生。死者負傷者30名、被害家屋等20戸。1977年に住民らが亜炭鉱の放置が原因として山形県を相手に訴訟を起こした。
1992年(平成4年) - 林野庁大蔵治山事業所が設置。国の直轄による地すべり防止事業が始まる。
2020年(令和2年)7月 - 28日から山形県一帯を襲った集中豪雨により銅山川が氾濫。肘折温泉で温泉施設が浸水、金山橋の橋脚が損壊。