Heimatgeschichte · Okushiri ·

奥尻町: 歴史

奥尻町: 歴史

=== 先史 ===
奥尻島はオホーツク文化の広がりの最南部にあたり、島の南端にある青苗砂丘遺跡で5つの住居跡と多数の遺物が見つかった。
ニホンアシカなどの海獣を狩り、エゾアワビを採るなど、海で暮らしを立てていた。
擦文文化の青苗遺跡にもアシカとアワビが見られ、古墳時代の本州から交易で入手したとみられる鉄製品や玉類が見つかった。

飛鳥時代
660年(斉明天皇6年3月):阿倍比羅夫が粛慎の砦を破った弊賂弁嶋(へろべのしま)は現在の奥尻島にあたるという説がある。

鎌倉時代
1454年(享徳3年)8月28日:松前藩祖・武田信広が漂着。

江戸時代
1720年(享保5年):新井白石の著書で「オクシリ」と記される。

明治
1885年(明治18年):不漁時に酒に溺れる漁師を戒めるため、当時の戸長(町長)が罰金付きの禁酒令(~1890年)を出す。
1906年(明治39年):釣懸村、赤石村、青苗村、薬師村が合併し、二級町村制を施行して奥尻村となる。
昭和
1941年(昭和16年):村内の4大字を再編。
1955年(昭和30年):旧町役場が完成。

昭和
1966年(昭和41年)1月1日:町制を施行して奥尻町となる。
平成
1993年(平成5年)7月12日:北海道南西沖地震が発生し、津波や土砂災害により多数の犠牲者を出した。
令和
2024年(令和6年)
5月2日 - 移転のため旧庁舎での業務を終了。
5月7日 - 旧町役場、議会、消防、保健福祉センターが集約され新庁舎での業務を開始。

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Quelle: Text: Wikipedia – „奥尻町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Soica2001 (talk), Public domain – Wikimedia Commons