Heimatgeschichte · Kaminoseki ·

上関町: 歴史

上関町: 歴史

かつて瀬戸内海西部には船の荷を検査する番所が設置されていた。現在の山口県に当たる部分においても、都に近いほうから「上関」「中関」「下関」が設置されていた。このうち、「上関」が設置されていたのが当所であったため、この地名がついた。
平安時代から室町中期にかけてはもっぱら「竈戸(かまど)」「竈戸関」と呼ばれた。史料に残される最も古い記録としては、966年(康保3年)の『清胤王書状』に、長島近辺の集落がイカの塩辛を皇室に進納する御厨として記載されている。また、平安後期には風待ち港として記録が残っている。平安末期になると、竈戸は賀茂別雷神社の社領となり、1445年(文安2年)の東大寺への年貢船の記録に初めて「上関」の名が現れ、以後多く使われるようになった。
鎌倉時代には地頭が配属されて関所としての機能が強まり、海上交通の要衝となっていった。室町時代には大内氏が竈戸関を支配したが、海上勢力の活動も活発であり、竈戸関は倭寇の拠点として海外にも認識されていた。江戸時代に上関天満宮に作られた灯籠の銘文によれば、室町時代に能島村上氏の祖である村上義顕が上関城を築城したとあり、戦国時代には村上水軍と、同盟関係にあった毛利氏の重要な海上拠点のひとつとなっていた。江戸時代中期に上関は北前船の風待ち港として全盛期を迎えた。公館である御茶屋、海上保安の御番所、藩営の商業機関である越荷会所など長州藩の出先機関が置かれ、富裕な商家の名残が今日にも見られる。明治時代以降、機帆船や蒸気船の登場によって上関町は、寄港地としての役割を終えた。
1969年に上関大橋が開通した。
1982年、町内に上関原子力発電所を建設する計画が浮上し現在も計画が進行中である。
2022年(令和4年)3月22日には町役場新庁舎での業務が開始された。

1982年に当地に中国電力が原子力発電所を建設する計画が浮上し、1988年には町が中国電力に誘致を申し入れた。長島南西部への四代(しだい)地区に建設が予定されている。元々は2012年6月に工事開始、2018年3月に運転開始の予定だったが、2011年3月発生の東日本大震災に伴う国のエネルギー政策が不透明になったこともあり、建設工事着手が見送られている。
2023年8月、西哲夫町長は、上関原子力発電所予定地における、中国電力と関西電力が使用する中間貯蔵施設建設の調査受け入れを表明した。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、長島・八島・祝島の区域をもって上関村が発足。
1958年(昭和33年)2月1日 - 上関村が室津村を編入のうえ町制施行して上関町となる。

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Quelle: Text: Wikipedia – „上関町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: RAKKO_TAKASAKA, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons