幌延町: 歴史
大きく分けると、以下のような歴史を辿っている。
明治期以前 アイヌ等の先住民族の狩猟文化
明治期 和人の入植と開拓
大正期 鉄道等の交通網・産業の発達と人口の増加
昭和前期 栽培農業から酪農への転換
昭和後期 過疎化の進行と幌延問題
昭和末期~平成期 新たなる産業の模索と実践
江戸時代は松前藩領である。
1878年(明治11年) - 天塩国に、幌延村、天塩村、沙流村が誕生。
この時点では幌延に住民の居住はなく名称だけの村だったという。
1890年(明治23年) - トイカンベツの天塩川沿いが御料地となる。
1898年(明治31年) - 3戸13人居住。
1899年(明治32年) - 下サロベツ原野に福井県団体15戸が入植する。本願寺、天塩、法華宗の各農場が設置される。この年を幌延町の開基とする。
1904年(明治37年)3月25日 - 幌延郵便局、上幌延に開局。
1909年(明治42年)4月1日 - 幌延村外一ヶ村(沙流村)戸長役場が大曲(現:元町)に設置される。初代戸長、兵藤新吉。292戸、人口1,297人。
1912年(大正元年)8月21日 - 国有林2万2700町歩が東北帝国大学農科大学(後の北海道大学農学部)へ移管。トイカンベツ演習林(天塩研究林の前身)設置。
1919年(大正8年)4月1日 - 二級町村制を施行。幌延、沙流(さる)を併せて、天塩郡幌延村となる。初代村長、森野菊次郎。
1921年(大正10年)- 天塩-幌延間に電話架設。
1923年(大正12年)11月20日 - 天塩線(現・宗谷本線)誉平(現:天塩中川)-問寒別間開業。
1925年(大正14年)7月20日 - 天塩南線(現、宗谷本線)問寒別-幌延間開業。
1926年(大正15年)9月25日 - 天塩線(現、宗谷本線)幌延-兜沼間開業
1930年(昭和5年)9月10日 - 問寒別-上問寒間で殖民軌道開業(後の幌延町営軌道)。
1935年(昭和10年)6月30日 - 天塩線(後の羽幌線)幌延-天塩間開業。
1938年(昭和13年)12月11日 - 酪連(雪印乳業の前身)幌延工場(現・雪印メグミルク) 操業開始。
1940年(昭和15年)
8月2日 - 積丹半島沖地震によって発生した2mの津波により、オトンルイ地区(天塩市街の対岸)の番屋が流され11人死亡。
9月1日 - 大字沙流村地区以北を分村。天塩郡豊富村(現:豊富町)が発足。
1948年(昭和23年)3月12日 - 問寒別農業協同組合設立。幌延農協の設立は同月23日。
1952年(昭和27年)9月1日 - 簡易軌道問寒別線を村が買収。村営化。
1953年(昭和28年)10月1日 - 1944年(昭和19年)に開院した北海道厚生連幌延病院を買収し、幌延村立国民健康保険病院を開院。
1957年(昭和32年)9月3日 - 天塩大橋竣功。天塩川の渡船を廃止。
1960年(昭和35年)9月1日 - 町制施行、天塩郡幌延町となる。初代町長、赤松満太郎。
1964年(昭和39年)5月31日 - 雪印乳業幌延新工場落成。
1967年(昭和42年)
5月1日 - 天塩町との間で境界変更。
11月26日 - 幌延町立病院(幌延町立国民健康保険病院を改称)新築落成。
1970年(昭和45年)8月31日 - サロベツ展望台(名山台)完成。
1971年(昭和46年)7月3日 - 幌延町営軌道問寒別線廃線式。(最終運行日は5月31日)
1974年(昭和49年)
9月1日 - 精神薄弱者更生施設「北星園」(現・幌延町立北星園)開園。
9月20日 - サロベツ原野が利尻礼文サロベツ国立公園に指定される。
1979年(昭和54年)7月1日 - 総合体育館開館。
1980年(昭和55年)11月3日 - 町長、助役、議員団一行が原子力施設を視察。いわゆる「幌延問題」の幕開けとなった。
1982年(昭和57年)10月29日 - 天塩河口大橋・道道106号稚内天塩線開通。
1985年(昭和60年)12月18日 - ふるさとの森森林公園完成。
1987年(昭和62年)3月30日 - 羽幌線廃止。沿岸バスにバス転換。
1989年(平成元年)
2月3日 - トナカイをフィンランドから導入し市街東町にて飼育開始。トナカイファーム開場(民営)。
5月1日 - 幌延ビジターセンター開設。
1990年(平成2年)5月20日 - 金田心象書道美術館開館。
1991年(平成3年)9月27日 - 役場現庁舎落成。
1994年(平成6年)4月1日 - 特別養護老人ホーム「こざくら荘」開荘。
1995年(平成7年)5月15日 - トナカイ観光牧場が市街東町に開場。町営施設で、3月20日に上問寒地区へ移転したトナカイファーム施設跡を流用した。
1997年(平成9年)
7月31日 - 総合スポーツ公園完成。
12月24日 - マスコット「ホロベー」誕生。
1999年(平成11年)12月24日 - トナカイ観光牧場が現在地である北進地区に移転。
2001年(平成13年)4月 - 幌延深地層研究センター開所。
2003年(平成15年)
2月 - オトンルイ風力発電所 稼動開始。
6月1日 - 幌延地圏環境研究所 開設。
2005年(平成17年)11月8日 - サロベツ原野がラムサール条約に指定される。
2007年(平成19年)6月30日 - 幌延深地層研究センターのPR施設「ゆめ地創館」が、北進地区のセンターの敷地内に開館。
2009年(平成21年)4月1日 - トナカイ観光牧場の入場料無料化。
2010年(平成22年)
3月14日 - 幌富バイパス開通。
4月1日 - 旧留萌支庁(現:留萌振興局)から宗谷総合振興局へ管轄が変更。
11月18日 - マスコット「ブルピー」誕生。
2011年(平成23年)10月1日 - 幌延町立病院を閉院、幌延町立診療所を移転開所。
2015年(平成27年)4月1日 - 幌延町中央保育所を閉所、幌延町認定こども園「たんたん」開園。
2025年(令和7年)8月17日 - 集中豪雨により町内の川が氾濫。300世帯以上に避難指示。
2026年 (令和8年) 1月12日・翌13日- 発生したM 5.0~M 5.2の地震により幌延町上問寒にある防災科研の観測機器が最大震度6弱の速報値を出す。
1980年(昭和55年)ころ、町議会などの誘致を受け動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、高レベル放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設を計画。いわゆる「幌延問題」として、地元や周辺市町村はもとより、全道で長きにわたり議論を呼んだ。2000年(平成12年)11月16日に北海道・幌延町及び核燃料サイクル開発機構の三者で「幌延町における深地層の研究に関する協定書」を締結し、2001年(平成13年)に幌延深地層研究センターが核抜きの地層処分研究施設として設置されたことにより、幌延問題は一応の終止符を打った。
以降、町ではこれをきっかけに、町ぐるみで町の気候、資源、既存産業を応用、活用した様々なエネルギー創出の研究、実践に取り組んでいる。2000年(平成12年)10月に風力発電関連会社を設立し、風力発電施設を設置した。また、町立施設への太陽光発電施設の設置やバイオマスエネルギーや雪氷エネルギーの活用なども行われている。
2000年9月5日に「北海道市町村合併推進要綱」が策定された。これによると、「遠別町・天塩町・幌延町」と「遠別町・天塩町・幌延町・中川町・豊富町」の2通りの合併パターンが示された。
2004年2月27日に天塩町・中川町・豊富町との間で「西天北4町任意合併協議会」を設置したが、2004年6月18日に解散した。
2006年7月31日に「北海道市町村合併推進構想」が策定された。これによると、構想対象市町村の組合せで「遠別町・天塩町・幌延町」が示された。