海士町: 歴史
=== 原始・古代 ===
諏訪湾沿岸にある郡山遺跡からは、隠岐諸島最古の縄文土器が発掘されている。郡山遺跡のほかには、黒曜石による石器が出土した三田遺跡、佐々木遺跡、北分遺跡などの縄文遺跡がある。弥生時代の遺跡である竹田遺跡からは、弥生土器や銅剣が出土している。古墳としては郡山西古墳、郡山東古墳、河原古墳、東神崎古墳があり、山尻断崖には横穴式古墳群がある。
藤原京からは「海評海里」(あまのこおりあまのさと)と書かれた出土した木簡が出土している。奈良時代には隠岐国海部郡(おきのくにあまのこおり)と記録されており、『和名抄』によると布施郷、佐作郷、海部郷の3郷があった。『地名辞書』によると布施郷は布施・知々井・太井・崎の4か村、佐作郷は豊田・宇受賀の2か村、海部郷は海士・福井の2か村である。
聖武天皇の神亀元年(724年)には隠岐が遠流の地と定められている。小野篁は2年あまりを隠岐で過ごしているが、前半は海士郡豊田村で、後半は島後の都万村で過ごした。延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』には、海士の宇受賀命神社と奈伎良比売神社が掲載(式内社)されている。
鎌倉時代に編纂された『吾妻鏡』には「阿摩郡苅田郷」という地名が登場する。承久3年(1221年)には後鳥羽上皇が海部郡に配流となり、源福寺を配所として崩御するまで19年間暮らした。後鳥羽上皇は当地で『隠岐本 新古今和歌集』を編纂したり、御歌合せを催すなどしている。元弘2年(1332年)には後醍醐天皇も隠岐に配流されたが、翌年に隠岐を脱出している。
室町時代の明応5年(1496年)には海士郡が海士村・宇津賀村(宇受賀村)・豊田村・知々井村・太井村・布施村・崎村(埼村)・福井村の8か村に分かれ、この8か村の体制が1904年(明治37年)まで続いた。戦国時代末期には美作国から豪族の渡辺氏が崎に定着し、大地主として海士郡のみならず島前全体に勢力を拡大した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には堀尾忠氏が出雲国・隠岐国の領主として移封された。寛永14年(1637年)に松江藩主の京極忠高が死去して京極家が廃絶すると、隠岐国は没収されて天領(幕府直轄地)となった。その後は幕府から松江藩に預けられる形となったが、名目上は幕末まで天領のままだった。中ノ島も松江藩による支配を受けており、島前では西ノ島の別府に代官所が置かれている。
1868年(明治元年)に起こった隠岐騒動の際、島前の各島は島後とは異なり中立の立場を取り続けたが、1869年(明治2年)以後の廃仏毀釈は島後同様に徹底して行われた。この騒動の過程でいったんは鳥取県の支配下に入り、1869年(明治2年)には新たに設置された隠岐県の一部となったが、1876年(明治9年)に島根県の管轄下で落ち着いた。このさなかの1873年(明治6年)には崎、知々井、海士、福井、布施の5地区に学校ができ、1874年(明治7年)には菱浦にも学校ができた。1879年(明治12年)には豊田村と宇受賀村の2か村が連合して豊田村に戸長役場を置き、また布施村と太井村の2か村も連合して布施村に戸長役場を置いた。1884年(明治17年)には海士村・宇受賀村・豊田村・福井村の4か村が連合して海士村に戸長役場を置き、布施村・太井村・崎村・知々井村の4か村も連合して布施村に戸長役場を置いた。
1904年(明治37年)4月には中ノ島の8か村が合併して1郡1村・1島1村の海士郡海士村に改称、同年5月1日には他地域の町村制に相当する「島根県隠岐国ニ於ケル町村ノ制度ニ関スル件」が施行されたことで、海士村は大字海士に村役場を置いた。1913年(大正2年)には初めて海士村議会議員選挙が行われた。1920年(大正9年)の海士村は、戸数が1,351戸、人口が6,001人だった。この後、昭和戦前期には出稼ぎや移住などで人口が減少し、1940年には1,110戸・4,620人となっている。紀元二千六百年記念行事の一つとして、1939年(昭和14年)には島根県によって隠岐神社が創建された。
海士村の人口は1950年(昭和25年)に6,986人とピークを記録したが、その後は一貫して減少している。1959年(昭和34年)には一畑バスが菱浦から豊田までの路線バスの運行を開始した。1963年(昭和38年)には隠岐諸島が大山隠岐国立公園に指定され、観光ブームが起こったことで、1965年(昭和40年)には島後に隠岐空港が開港している。
1969年(昭和44年)1月1日には町制を施行して海士町となった。同年4月には旧隠岐国4郡が1郡となり、隠岐郡海士町となった。1970年(昭和45年)には隠岐と本土との間で初めてフェリーの運航が開始された。1995年(平成7年)には隠岐汽船の高速船レインボーが菱浦港に寄港するようになった。2002年(平成14年)には承久海道キンニャモニャセンターがオープンした。1953年(昭和28年)に離島振興法が制定されると、港湾や防波堤の整備など数多くの公共事業が行われてきたが、2000年代には財政再建団体への転落も危ぶまれるほどの財政危機に陥った。
2002年(平成14年)には民間企業の経営感覚を持つ山内道雄が海士町長に就任した。平成の大合併時には島前の2町1村も合併に向けた協議会を立ち上げたが、地政学的条件などが理由で合意には至らず、2003年(平成15年)12月14日には協議会が解散している。山内は大胆な行政改革と産業創出策を行い、海士町は「地方創生のトップランナー」と謳われるほどの町となった。2009年(平成21年)には日本で最も美しい村連合に加盟した。
1904年(明治37年)5月1日 - 島根県隠岐国ニ於ケル町村ノ制度ニ関スル件が施行により、海士郡海士村が発足する。
1969年(昭和44年)
1月1日 - 町制施行して、海士町となる。
4月1日 - 隠岐郡の所属となる。
2025年(令和7年)1月14日 - 町役場が新庁舎に移転。