Heimatgeschichte · Himeshima ·

姫島村: 歴史

姫島村: 歴史

=== 古代 ===
『古事記』の国産み神話でイザナギとイザナミが12番目に産んだ女島(天一根)に比定されている。
姫島産の黒曜石で作られた石器が中国地方、四国地方の縄文時代遺跡から発見されており、この時代に広く交易が行われていたことを示している。

平安時代末期頃からは宇佐八幡宮弥勒寺領となった。その後は大友氏の水軍・浦辺衆の根拠地の1つとなる。江戸時代は杵築藩領となり、大友家重臣の血筋といわれる古庄家が庄屋として島を治め、製塩業や甘藷栽培など殖産興業に務めた。

姫島の中央低地の海岸は遠浅で、慶長年間には塩田が開かれた。
1864年(文久3年)の下関戦争では英、米、仏、蘭の連合艦隊が、関門海峡に近い要衝である姫島を拠点とした。その際、イギリスから帰国した伊藤博文、井上馨が調停のため来島している(その時の両名や島民の様子について英国外交官アーネスト・サトウが記録)。また幕府の軍艦奉行勝海舟が、戦闘終結後に姫島に上陸し、戦闘の模様について情報収集をおこなった。
長州征討とも関りが深く、幕府の石炭貯蔵庫が1866年(慶応2年)6月29日未明、奇兵隊によると見られる放火で爆発し、完全鎮火まで4カ月かかる事件が起きた。また、島の庄屋であった古庄虎二が杵築藩と長州藩の講和を仲介した。大村益次郎暗殺事件では、犯人の神代直人やその師である大楽源太郎が一時潜伏した。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、東国東郡姫島の区域をもって、東国東郡姫島村が発足する。
1924年(大正13年)1月1日 - 村営連絡船「姫島丸」就航。
1965年(昭和40年)
本土との間に海底ケーブルが敷設。電気の供給開始。
6月17日 - 姫島車えび養殖会社設立。
1972年(昭和47年)5月10日 - フェリー船 「姫島丸」就航。
1984年(昭和59年)7月 - 「あき缶デポジット方式」採用。
1998年(平成11年)- 公共下水道が全域で供給開始。
2013年(平成25年)9月24日 - 「おおいた姫島ジオパーク」として日本ジオパークに認定。

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Quelle: Text: Wikipedia – „姫島村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: On-neko, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons