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飯舘村: 歴史

飯舘村: 歴史

=== 地名の由来 ===
この村は、何度も複雑な合併を繰り返し、現在の名前に落ち着いている。
まず、町村制施行の1889年(明治22年)に飯樋村と比曽村、大倉村と佐須村が合併し、合成地名でそれぞれ飯曽村、大須村となった。
つづけて、1942年(昭和17年)に飯曽村が石橋村(この地名も合成地名である)を編入し、同年、大須村と新舘村が対等合併し、合成地名で大舘村となった。
最後に下記の年表にあるように、飯舘村という合成地名に落ち着いた。かろうじて、飯樋村と新舘村の一文字だけが、現村名として存続している。
大字として、「飯樋」、「比曽」、「大倉」、「佐須」の名称は現在も受け継がれている。地図でみると、前者2つは南西部、後者2つは北東部に所在する。なお、下表に示した明治22年以前の18の村名すべてが大字として現存している。
「飯樋」は東日本によく見られる地名で、池の水を田地におくる設備のこと、「比曽」は「檜の生える土地」という意味だと思われる。「佐須」は「焼き畑」を意味する言葉から来たもので、美方郡香美町香住区の「佐津」という地名が由来であるらしい。「大倉」とは「大きな倉」ではなく「大きな崖山」という意味だと地形図から読み取れる。「新舘」の「たて」は、「射楯(いたて)」の意味で、「伊達」と同語源で、住吉神社系統の海神を「イタテの神」と呼んだことに由来し、西日本(播磨国など)からこの地に移住して開墾したものと推定される。

1051年(永承6年):虎捕山麓に山津見神社が創建される。
江戸時代は中村藩(藩主:相馬氏)の領土であり、現飯舘村は中村藩による区分で「山中郷」と呼ばれた。

1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日):廃藩置県により、現飯舘村は中村県に属した。
1872年1月9日(明治5年):中村県と平県が合併され、磐前県に属した。
1876年(明治9年)8月21日:磐前県・福島県・若松県が合併され、これ以後は福島県に属している。
1896年(明治29年):現飯舘村が属する行方郡・宇多郡が合併され、相馬郡となった。
1937年(昭和12年):相馬郡原町(現・南相馬市)の事業として新田川水系野手上川に風兼ダム(型式:アースダム、別名:野手上ダム、ダム湖名:野手上湖、所在地:飯曽村蕨平字風兼(現・飯舘村蕨平字風兼))が竣工。

1956年(昭和31年)9月30日:相馬郡で大舘村と飯曽村が合併され、飯舘村が成立。村名は旧村名から一字ずつ採って合成した合成地名である。
1962年(昭和37年):福島県の事業として、新田川水系飯樋川流域の飯舘村飯樋で、岩部ダム(型式:アースダム)が竣工。
1971年(昭和46年):福島県が真野川水系真野川流域にある飯舘村大倉字松ヶ平で真野ダム(型式:重力式コンクリートダム)に着工。
1991年(平成3年):真野ダム(ダム湖名:はやま湖)が竣工。
1998年(平成10年):町域にある花塚山・野手上山・虎捕山の三山が「うつくしま百名山」(福島テレビ主催)に選定される。
2004年(平成16年):新田川下流の原町市など周辺市町と共に参画していた市町村合併協議会から離脱(参加していた市町は2006年に南相馬市を形成)し、自立の道を模索し始める。
2006年(平成18年)1月1日:原町市ほか2町が合併されて南相馬市が成立し、これによって相馬郡の構成は新地町と飯舘村の1町1村となる。新地町と飯舘村の間にも相馬市があるため、現相馬郡の両者は地理的隔たりを持つに至った。なお、飯舘村は旧行方郡、相馬市と新地町は旧宇多郡の地域である。
2010年(平成22年)9月27日:「日本で最も美しい村」連合に加盟。
2011年(平成23年)1月1日:総人口6,152人、世帯数1,715戸。
2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生(※節を改めて詳述する)。

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、飯舘村は震度6弱(観測地点:伊丹沢地区)を記録した(cf. 東日本大震災)。
地震動そのものによる被害は他地域との比較の上で極めて軽微であったが、地震とそれに伴う津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故(東京電力)の影響は深刻なものとなった。飯舘村はその全域が、放射線量が年間積算20ミリシーベルトに達するおそれがあるとする「計画的避難区域」(1カ月以内を目安として住民全員の避難が指示される区域。より深刻な「警戒区域」の外側)に指定され、土壌からは放射性物質が検出されたが、2023年5月現在は一部地域を除き避難区域は解除された。

2011年
4月10日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人。
4月11日 - 原子力事故の影響により、福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村・浪江町・葛尾村の全域、および、川俣町と南相馬市の一部地域。対象は約3,000世帯・約10,000人)が、計画的避難区域に指定される。
5月15日 - 政府指定の計画的避難区域で計画的避難が開始され、初日は飯舘村民および川俣町民の、乳幼児がいる18世帯・113人が区域外へ移動した(飯舘村民の移動先は福島市)。なお、計画的避難区域の全住民のうち、5,000人前後(飯舘村では対象となる約1,700世帯・約6,177人の3割ほど)はすでに自主的避難をしている。
5月26日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人・重症者0人・軽症者1人、建物被害は無し。
6月1日 - 飯舘村役場が福島市役所飯野支所(所在地:福島市飯野町字後川10-2)に職員を先行配置し、役場機能の全面的移転に向けての準備に入る。
6月22日 - 全村民の約9割が避難を終えるなか、飯舘村役場の福島市への移転が完了し、福島市役所飯野支所で「飯舘村役場飯野出張所」が開所する。福島市に移った飯舘村避難住民はこの時点で約4,000人に上る。一方で、飯舘村には約200人が避難せずに残っていると見られ、8つの会社と特別養護老人ホーム1施設が事業の継続を認められている。
6月22日 - 飯舘村長が計画的避難区域指定の再検討を政府に要請(放射線量の低下が見られる地域での指定の解除と、依然として線量の高い地域をピンポイントで指定し直す意味で「特定避難勧奨地点」[現時点では既存区域外が指定対象範囲となっている]への移行を訴える)。
2012年
6月15日 - 政府原子力災害対策本部が飯舘村内の計画的避難区域を見直し、年間積算放射線量を基準に避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の設定を発表。地区毎の設定内容は以下の通り。
避難指示解除準備区域(年間20ミリシーベルト以下) - 八木沢・芦原・大倉・佐須・二枚橋・須萱
居住制限区域(年間20ミリシーベルト超・50ミリシーベルト以下) - 上記各地区と長泥以外の全域
帰還困難区域(年間50ミリシーベルト超) - 長泥
7月17日 - この日の午前0時を以て避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の運用を開始。
2017年
3月31日 - この日を以て帰還困難区域(長泥)を除いて避難指示を解除。
2023年
5月1日 - この日を以て特定復興再生拠点区域と長泥曲田公園での避難指示を解除。

※前史については「相馬郡」を参照のこと。
1956年(昭和31年)9月30日:相馬郡で大舘村と飯曽村が合併し、飯舘村が成立。

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Quelle: Text: Wikipedia – „飯舘村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 小林俊通, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons