Heimatgeschichte · Iheya ·

伊平屋村: 歴史

伊平屋村: 歴史

村内には先史時代の貝塚が分布し、特に久里原貝塚の発掘では縄文時代前期から中期の土器が発見されている。
第一尚氏王朝をひらいた尚巴志の祖父・佐銘川大主(または鮫川大主とも)の出身地であるとされる。琉球王国期には、伊平屋島、伊是名島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされ、そのため行政区としては王府の聖域が多く存在する本島南部の島尻郡に属すことになった。これが現在も続いている。
古くは伊平屋島・野甫島の伊平屋地方二島と伊是名島・具志川島・屋那覇島・屋の下島・降神島の伊是名地方五島、両地方合せて、「恵平屋の七離れ」と7島合わせて「ゑひや(恵平屋)」と呼ばれていた。
「おもろさうし」巻一七の四二に「ゑひや」、「海東諸国紀」所載の琉球国之図に恵平也山とみえ、「去琉球二十里」とある。古琉球の間切・シマ制度下で「ゑひや」、近世の間切・村制度下で島と称された行政単位を構成する島の一つとされている。
18世紀後半、琉球国惣絵図にて測量に基づいた伊平屋の地図が描かれる。首里王府が、18世紀頃、新しく開墾された農地等を把握するため、沖縄本島とその周辺離島を細かく測量する乾隆大御支配(検地)を実施した琉球国惣絵図。現在確認されているのは伊平屋島含めて7枚のみ。
第二次世界大戦末期の沖縄戦の伊平屋村は1945年(昭和20年)6月3日午前に伊平屋島南東沖から米軍の艦砲射撃を受けた。数時間に及ぶ射撃があり、島の中央付近から米軍が上陸。同上陸作戦時に艦砲射撃と機銃掃射で40人余の住民が命を落とした。
米軍の上陸に対し住民は抵抗せず、戦闘は即日終結、2日後の6月5日には島の北部の田名地区に全島民が収容。米軍の駐留は11月まで続き島内の最北端部にレーダー基地、中央部には飛行場を設置され、村民はその間に捕虜生活となった。島内には、不時着した特攻機の搭乗員や沖縄本島から脱出してきた敗残兵らが島民に紛れて潜伏していたが、彼らも抵抗することはなく、あるものは日本兵であることが米軍に発覚して捕虜となるか、終戦が明らかになると島を去った。
終戦後の8月16日、第五航空艦隊司令長官宇垣纏中将は、所謂「私的特攻」で伊平屋島の米軍基地に特攻攻撃を行おうとした。しかし、宇垣が搭乗していた103飛行分隊長中津留達雄大尉が操縦する彗星艦上爆撃機は、米軍基地ではなく近くの岩礁に突っこんだ。後続の特攻機も基地を避ける形で島の水田に激突していき自爆。基地攻撃は未遂に終わっている。
2005年7月に伊是名村との新設合併による「新伊平屋村」発足を目指したが、伊是名村で合併の是非を問う住民投票の結果、反対多数となり合併を断念した。
2020年12月、村内で新型コロナウイルスの感染が拡大。同月24日までに人口約1200人のうち30人が本島の施設へ搬送されたことから、離島のクラスター問題への対処として注目を集めることとなった。
2021年(令和3年)10月から11月にかけて、福徳岡の場の噴火で生じた軽石が沿岸部に漂着。フェリーが断続的に欠航したほか、行き先の変更が行われた。

1264年(英祖王統)久米・慶良間・伊平屋(ゑへや)、中山に加わる。
1471年「海東諸国記」に、恵比也山が初出
1478年 田名地頭が配置任命される。
1816年 バシル・ホール来琉、著書『朝鮮・琉球航海記』にて伊平屋伊是名諸島をモンゴメリーグループと呼ぶ。
1896年(明治29年)4月1日 - 沖繩縣ノ郡編制ニ關スル件(明治29年勅令第13号)により島尻郡に編入。
1908年(明治41年)4月1日の島嶼町村制施行により、田名村・我喜屋村・島尻村・野甫村・伊是名村・仲田村・諸見村・勢理客村が合併し島尻郡伊平屋村が成立。ただし、村政の中心である村役場は伊是名島に置かれた。
1909年(明治42年) - 前泊が田名から分離して5村落となる。
1926年(大正15年)田名地区に伊平屋村で最初の共同売店『田名共同売店』が村屋の一部を利用して設立される。
1939年(昭和14年)7月1日 - 分村許可指令により、伊平屋村の一部(伊是名・仲田・諸見・勢理客)が分立し伊是名村が分立。

== 人口 ==
伊是名村と同じく1955年(昭和30年)に人口総数は最高となり、伊平屋村では人口が4,008人を記録したが、その後は急激な人口減少が続いた。

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Quelle: Text: Wikipedia – „伊平屋村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Image Science and Analysis Laboratory, NASA-Johnson Space Center. "The Gateway to Astronaut Photography of Earth.", Public domain – Wikimedia Commons