天川村: 歴史
原始遺跡はほとんど発見されておらず、古くは人々が定住するにはいたらなかったが、そんな深山幽谷の地であったことが修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、7世紀に役行者小角により金峰山・大峯山が開山されて以来は人々の定住を促し山岳修験道の根本道場として栄えた。奈良時代には遣唐使が持ち帰った興福寺所蔵の「華原磬」の台座の石として白石(結晶質石灰岩)を切り出し運搬した記録が、正倉院の文書の中に残されており公式的な文書に天川村が登場する最初といえる。
平安時代には宇多天皇、藤原道長などをはじめ多くの人々が大峯山へ御岳詣をしている。大峯山で修行した弘法大師空海はこの地を経て平原の幽地である高野に至ったという記録もあり、伝承では籠り道場となった場所が籠山(こもりやま)、庵を結んだ場所が庵住(いおすみ)という地名になったとされている。
大峰連山の一つ弥山に祠られた弥山大神の歴史も古く天河大弁財天社の創建とその隆盛とともに聖域化され、これらに前後して「天ノ川」という河川名が生まれたと考えられている。村は天河神社の信仰を核に繁栄し南朝による課役免除の恩典もあり経済的にも安定していた。また村は弓竹の矢の産地としても知られ南朝方、織田・豊臣両氏にも矢竹を上納している。江戸時代には天川23ヶ村は天領とされ年貢の他に矢竹を上納し幕府の役人である代官によって統治されていた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、洞川村・北角村・南角村・中越村・川合村・沖金村・沢谷村・中谷村・沢原村・北小原村・南日裏村・坪内村・五色村・九尾村・栃尾村・和田村・籠山村・庵住村・山西村・広瀬村・滝尾村・塩野村・辰巳屋新田・塩谷村(旧・天川郷・三名郷)の区域をもって発足。
1965年(昭和40年) - 大字洞川(どろがわ)が吉野熊野国立公園に追加指定。
1989年(平成元年) - 村制100周年。
2004年(平成16年) - 「大峯山寺」「大峯奥駈道」が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録。
== 行政 ==
村長は車谷重高 - 2015年就任。2019年無投票当選。
村議会は定数8人、現在の議長は銭谷春樹(2016年12月20日現在)。
吉野郡域8町村での合併や、すぐ北に位置する黒滝村の2村での合併が検討されたが、2005年(平成17年)3月に黒滝村の協議取りやめの申し入れにより合併協議会が解散し、平成の大合併では合併は行われないことになった。
衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第3区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「吉野郡選挙区」(定数:2)となっている。
歴代村長
車谷重高 - (2005年 - 2009年)
柿坂弥寿麿 - (2009年 - 2011年)
森本靖順 - (2011年 - 2015年)
2017年(平成29年)10月1日、「天川村をきれいにする条例」が施行された。条例の骨子は次の3つである。
放置ゴミ・放置自動車の禁止及び野焼きの禁止。
バーベキュー等の禁止。
自動販売機で飲料等を販売する者に対して、回収容器の設置とその管理の徹底。
条例が制定された背景には、モラルのない観光客が河川でバーベキューを行い、ゴミ・調理用具・椅子などを放置して帰る事例が多発していたことがある。