笠置町: 歴史
=== 古代 ===
笠置町一帯は奈良の東大寺の造営に際し、木材を切り出して木津川の水運を使って運んだ事など古くから水運の要衝として発達していた。
笠置寺は東大寺の造営に当たった良弁とその弟子実忠が来山したと伝えられる古刹で、南北朝の動乱時の元弘の乱(1331年)には後醍醐天皇の行在所となり、兵火にあって大半の建物が焼失した。
現在の笠置町の領域には、江戸時代は木津川の北岸に津藩領の北笠置村、切山村、上有市村と下有市村、南岸に南笠置村(津藩領)と柳生藩領の飛鳥路村が存在した。
1871年(明治4年)の廃藩置県で、旧藤堂藩の南笠置村、北笠置村、切山村、下有市村、上有市村は津県、旧柳生藩の飛鳥路村は柳生県となった(同年11月には以上6ヶ村が京都府管下となる)。
1876年(明治9年)に上有市村と下有市村が合併し有市村に、北笠置村と南笠置村が合併し笠置村になった。
1889年(明治22年)4月1日 - 相楽郡笠置村・切山村・有市村・飛鳥路村が合併し、笠置村が誕生。
1934年(昭和9年)1月1日 - 町制施行。
1959年(昭和34年)12月1日 - 準用財政再建団体になる。
1989年(平成元年) - 笠置夏祭りが始まる。
1997年(平成9年) - 笠置いこいの館開業(2019年に閉鎖)。
2009年(平成21年)
8月12日 - 全町民の定額給付金のデータの入力されたパソコンの紛失が判明。盗難の可能性もある。
第1回全国ご当地鍋フェスタ開催。
2014年(平成26年) - この年、町内の出生数がゼロとなった。
2016年(平成28年)1月 - 笠置町まち・ひと・しごと創生戦略を策定。人口減少に対応するため2040年の戦略人口(目標人口)888人の実現を目指す。
2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症の拡大を踏まえ学校の臨時休校、笠置キャンプ場の閉鎖笠置夏まつり、笠置もみじまつり、全国ご当地鍋フェスタ・鍋1グランプリなどのイベントも中止された。