西米良村: 歴史
15世紀初頭、菊池氏の末裔とされる米良氏が米良に移住。米良山14か村の領主として当地を支配。江戸時代中期の承応年間(1652年 - 1655年)以降、現在の西米良村小川にあった小川城(米良氏屋敷)を居城とした。米良氏は明治維新後に菊池氏に改姓した。
米良山は元和年間(1615年-1624年)に人吉藩の属地とされ、廃藩置県(1871年)の際には人吉県(後に八代県)球磨郡の一部の扱いとなり、1872年に宮崎県の前身である美々津県児湯郡に移管された。こうした歴史的経緯から米良地方は宮崎県(日向国)の他地域よりも熊本県(肥後国)球磨地方との結びつきが強い。これは現在も飲酒嗜好にも表れており、西米良村では球磨焼酎(25度の米焼酎、宮崎県内は20度の芋焼酎が主流)、特に高橋酒造の「白岳」が愛飲されている。
1889年5月1日の町村制実施時に米良山は東西に分れ、西側が西米良村として村制を施行した。西米良村はこの後合併を経験することがなく現在に至る。なお、東側は東米良村として発足後、一ツ瀬ダムの建設に際し1962年に西都市・木城町に編入された。