浪江町: 歴史
=== 近世以前 ===
現在の浪江町を含む浜通り北部は、古代の令制国としては陸奥国の一部であった。中世以降は相馬氏の地盤であり、江戸時代は相馬中村藩が治めていた。
太平洋戦争後の1955年(昭和30年)に人口約28,000人を数えた浪江町も、過疎と財政難に悩まされ、その打開が必要であった。1960年(昭和35年)頃、福島県が原子力発電所を誘致するに当たり、浪江町も候補地となった。最終的には同じ浜通りの双葉郡の双葉町と大熊町に跨る地域に決まり、福島第一原子力発電所(東京電力)として開所する。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町・双葉町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた。
折りしも、1969年(昭和44年)に発足を控えていた宇宙開発事業団がロケット発射場の候補地を探しており、浪江町の方から手を挙げたものの、「原子力発電所の近郊に発射場を建設するのは危険」と判断され、この構想も消滅した。
ロケット発射場の次は「子供の村」構想への参画を目指したが、これも頓挫した。しかし、福島第一原子力発電所建設の経済波及効果は浪江町にもあり、1970年(昭和45年)に約21,000人で底を打った人口は1970年代末には23,000人に回復し、作業員向けの宿泊施設、バー、スナックなどが建てられた。
浪江町が何か誘致できる施設が無いかを調べていたところ、東北電力が浪江町と小高町(現在の南相馬市小高区)に跨る地域に原子力発電所の誘致を持ちかける。当時、東北電力は宮城県で女川原子力発電所の建設計画も進めており、「女川町へ原発と付随する交付金や雇用等を取られてしまう」という対抗心もあって、浪江町議会は賛成した。当時は公害に対する批判的な世論が芽生え始めた時期でもあり、地元の自民党支持層は分裂。自民党の原発誘致反対派は他党と組まず、長らく反対運動を続けることになる。1982年(昭和57年)の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた(のちの浪江・小高原子力発電所計画。こちらは東日本大震災後の2013年に中止が発表された)。上述の宿泊施設、浪江町による水道などの社会資本投資は原子力発電所建設を見越した先行投資でもあったため、1980年代末時点で17人まで減ったものの団結力を高め、予定地に共同登記をしていた反対運動による遅延は、これら商工業者に莫大な損失を強いるものとなった。原子力発電所の建設が進まないなか、近隣自治体に新地発電所、原町火力発電所などが建設されていった。
近世以前
元禄年間:中村藩士の半谷休閑が地元で陶土を発見し、第二次世界大戦後に「大堀焼」「大堀相馬焼」と呼ばれるに到る陶器を焼き始める。
近代以降
1898年(明治31年)8月23日:日本鉄道の磐城線(後に常磐線へ編入)で浪江駅が開業。
1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道の磐城線が全線国有化され、以後、国鉄「元日本線」と通称されるようになる。
磐城線は、鉄道院による国有鉄道線路名称制定の一環として、1909年(明治42年)10月12日、「常磐線」に改称される。さらに1987年(昭和62年)4月1日、国鉄常磐線浪江駅は国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線浪江駅となる。
1960年(昭和35年)頃:福島県が原発を誘致するに当たって、浪江町も立候補(上記のようにその後、双葉町と大熊町に福島第一原発が建設される)。
1967年(昭和42年)5月25日:再び、原子力発電所の誘致を決定(しかしその後、宮城県女川町が選定地となり、女川原子力発電所が建設される)。
1969年(昭和44年):発足を控えてロケット発射場の候補地を探す宇宙開発事業団に対し、浪江町が立候補するも、原子力発電所の近隣であることを危険視されて実現せず。
1978年(昭和53年):昭和になって浪江町大堀で再興されていた大堀相馬焼が、国の伝統工芸品に指定される。
1999年(平成11年)4月17日:常磐自動車道の常磐富岡-相馬間延伸の一環として、浪江インターチェンジが着工。
2000年(平成12年)6月4日:日本テレビ系列のバラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画として、「DASH村」が浪江町の西部に作られる。当時は非公表の事実であったが、のちに公表される(後述:2011年(平成23年)4月24日)。
2006年(平成18年)5月31日:県内の優秀な消防団に贈られる福島民報主催の「民報金ばれん」(第54回)を浪江町消防団が受賞。
2008年(平成20年):ご当地グルメ「なみえ焼そば」の普及をはかる浪江町商工会青年部が中心となり、団体「浪江焼麺太国」が発足。
2011年(平成23年)2月1日:二本松市コミュニティバスが福島交通津島線の代替運行を開始。
震災以降
2011年(平成23年)3月11日:マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、浪江町は幾世橋地区で震度6強を観測した。この地震が引き起こした大津波によって町の沿岸部は壊滅的被害を受けた。加えて、隣接する大熊町域で福島第一原子力発電所事故が発生。以後、放射能漏れによって多大で長期的な影響を受けることとなった。cf. 東日本大震災。
3月12日:国の避難指示が原発から10キロメートル圏に拡大した事を受け、町の災害対策本部は該当地域の住民を町内の津島地区へ避難させる事を決めた。浪江町津島地区は東京電力福島第一原発から北西へ25キロの地点にある。人口1400人ほどの津島地区は約8000人の町民であふれた。
3月14日:原子力事故(cf. 第1週)による放射性物質漏洩が深刻化し、同日午前に原発からの距離が半径10km圏内の全域(請戸地区等)、同日午後には浪江町東部全域が含まれる半径20km圏内の全域に避難指示が公示される。これを受け、二本松市役所東和支所内に仮役場(浪江町役場二本松事務所)が設置され、翌15日以降、約8千人が移動・避難した(避難住民と避難場所は他にも散在)。
3月24日:二本松市コミュニティバスが運行(福島交通津島線の代替運行)を再開。
4月1日:馬場有町長らがYouTubeにて町民に声明を出す。
4月9日:この時点で、死者1人、行方不明者185人。
4月11日:原発より半径30km圏内にある地域(西部の大部分)が計画的避難区域に指定され、半径30km圏外にある地域(西部の一部)は緊急時避難準備区域に指定される。
4月14日:放射線量が低下したとして、原発より半径10km圏内の一部(浪江町では請戸地区)で福島県警による行方不明者の大規模捜索が始まる(約300人動員)。
4月22日:原発より半径20km圏内が警戒区域に指定される。
4月24日:『ザ!鉄腕!DASH!!』が番組内でDASH村の所在地域(福島原発より半径20-30km圏内の西部某所)と被災状況等を公表する(cf. DASH村#福島原発事故による影響)。
2013年(平成25年)4月1日:避難区域が再編される(町の山間部などが帰還困難区域に指定される)。
復興
2017年(平成29年)
3月31日:帰還困難区域を除き避難指示が解除された。
4月1日:役場機能の大半が二本松市の仮役場から元の浪江町役場本庁舎へと戻された。また浪江駅の営業が再開され、常磐線下り方向への通常運行と浪江駅〜竜田駅までの代行バス運行が開始された。
2019年(令和元年):近隣の自治体の楢葉町、広野町と合同で、ももいろクローバーZが毎年実施するコンサート「ももクロ春の一大事」を、2020年に誘致することを決定。その後、新型コロナウィルスの影響で2022年に延期して実施された。これに先立って2019年11月24日、同グループのメンバー・佐々木彩夏をリーダーとする7人組ユニット「浪江女子発組合」も結成された(以降、浪江町で無料コンサートを開催するなど、継続的に活動)。
2022年(令和4年)3月:浪江駅周辺グランドデザイン基本計画が策定された。
2023年(令和5年)
3月31日:特定復興再生拠点区域での避難指示が解除された。
4月1日:ふれあいセンターなみえ内に福島国際研究教育機構が設立された。
2022年(令和6年)3月:浪江国際研究学園都市構想が策定された。 …