大鹿村: 歴史
大鹿村鹿塩梨原にある葦原神社は明治末期の神社合併でできたが、もともとは本諏訪社といわれていた。諏訪大社の祭神である建御名方神が建御雷神との力くらべに負けて出雲から洲羽(諏訪)に逃げる際に一時的に滞在していたとする説がある。鹿塩の塩泉は建御名方神が鹿狩りをしているときに発見したという伝説や、御頭郷の最上位の席は鹿塩であったことなどいくつかの傍証となる事実がある。
嘉暦4年(1329年)3月、北条高時から信濃国の地頭・御家人に対して出された下知状により行われた諏訪大社五月会・御射山御頭に勤仕した郷村中に大河原・鹿塩の両村が記載されている。いずれにも地頭がいた(神長守矢文書)。
南北朝時代に南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の皇子)がこの地の豪族香坂高宗に庇護され、以後30余年に渡って信濃宮方(南朝)の本拠地となった。
江戸時代:大河原村・鹿塩村の2か村は、徳川幕府の直轄領(天領)で、美濃国久々利村の千村平右衛門預かり地として幕末まで一貫して変わらなかった。
1961年(昭和36年)6月:三六災害が発生、土砂崩れや土石流などによって村民55名が死亡。 集中豪雨により大西山が幅200mにわたり崩壊。約5万立方メートルの土砂が川と県道を埋め、天然ダムが形成される。
2005年(平成15年)10月:北海道美瑛町などとともに全国7町村が発起人となり「日本で最も美しい村連合」を設立。大鹿歌舞伎という伝統芸能と、赤石山脈を臨む美しい環境を守るためにも、参加が村発展の契機になることが期待されている。
なお、この村には七不思議の伝承があり、その中でもっとも有名なのは、「鹿塩の谷で産まれた猫には、その仔一代は蚤がつかない」というものである。
1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡大河原村及び鹿塩村が合併して、大鹿村が発足する。
1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、下伊那郡の所属となる。
1882年(明治15年)4月15日 - 大鹿村が分割して、大河原村及び鹿塩村が発足する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、大河原村及び鹿塩村の区域をもって、大鹿村が発足する。以降130年以上にわたり、大鹿村は合併を経験していない。