丹波山村: 歴史
=== 先史 - 中世 ===
丹波川流域には、高尾遺跡など縄文時代の遺跡が見られる。中世には小菅氏により寺院建立が行われており、『甲斐国志』によれば天正年間には郡内領主小山田氏の支配が見られ小菅村と同じ行政単位で、文禄検地で分割された。
谷村藩領を経て天領となった。国中方面から奥多摩へ向かう甲州道中の裏街道であった青梅往還は大菩薩峠を越えると分岐し、村域には丹波山通が通り丹波宿があった。
近世には都留郡に属した。戦国期から江戸時代初期にかけて、丹波川上流の黒川金山(鶏冠山)での金鉱採掘も行われていたが、住民の生業は焼畑農業のほかは主に山稼ぎであった。
延享2年(1745年)には入会権を巡り国中10か村(現:甲州市塩山)と山境争論が起こり、幕府裁定で入会地を獲得した。しかし、1881年(明治14年)には山林は官収された。
近代には交通機関も発達し、生業も養蚕業をはじめ、コンニャクやワサビ(丹波ワサビ)の栽培、製炭、旅宿営業など多様化した。
1889年(明治22年)には一部の山野を国から買い取って再び入会権を獲得。しかし、多摩川上流の山林が乱伐され荒廃すると、東京府は水源涵養林確保のため、1901年(明治34年)に丹波山御料林の払い下げが宮内省(現:宮内庁)に申請され、一定の補償を条件に入会権を放棄し、御料林は東京府に移管され、営林事業を開始した。
1909年には東京市による水源林の直接管理運営を目的として当時の東京市長の尾崎行雄がこの地を訪れた。そして1910年(明治43年)営林事業は東京府から東京市に移管された。その後も山林は水道水源林経営のため、東京市に買収されていった。現在、この山林は東京都水道局の水源涵養林(東京都水源林)となっている。
1889年(明治22年)7月1日 - 町村制の施行により、丹波山村の区域をもって、丹波山村が発足。