Heimatgeschichte · Awashimaura ·

粟島浦村: 歴史

粟島浦村: 歴史

粟島は過去に集落を焼き尽くすような大火に数度見舞われており、過去の資料や文献等がほとんど残っていない。このため、江戸時代以前は推測に頼るしかない。
人の居住は早く、縄文土器が出土している。古代は蝦夷が住んでいたと思われる。阿倍比羅夫の遠征や磐舟柵の設置など大和朝廷の北陸・東北地方への進出に伴い、その支配下に組み込まれていったと推測される。『万葉集』に載る和歌「波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢わぬもの故我に寄そる児ら」にある粟島が、現在の粟島を指すとの解釈もある。
『大日本地名辞書』によると、日本各地に伝わる薬の処方を集めた『大同類聚方』に「磐船郡粟生蝦夷等之家伝方」として「粟島薬」が見え、2種類の薬について記されている。そこで原料とされている植物は現在も島に自生している。
鎌倉時代、室町時代は色部氏の領地。この時期、板碑が大量に造られた。
江戸時代には村上藩や庄内藩領、幕府領、米沢藩預と二転三転した。また北前船の寄港地として栄えた。戊辰戦争中はエドワード・スネルによる米沢藩への武器輸送の中継地だった。現在も海が荒れた際はタンカー等が内浦港の沖合いに停泊する。

1889年(明治22年) - 町村制施行により、粟島浦の区域をもって、粟島浦が発足する。
1909年(明治42年) - 粟島浦村に名称が変更する。
1974年(昭和49年)3月22日 - 島に高波が押し寄せ、海岸線の30棟で被害。鉄筋コンクリート2階建ての村役場も半壊した。
2001年(平成13年) - 村長選挙で新人候補が立候補に必要な戸籍抄本を取ろうとした際に、村は祝日を理由に拒否したため、現職の神丸保男が無投票で当選した。2002年(平成14年)7月30日、最高裁判所は「神丸村長が地位を利用して立候補を妨害した」と認定して選挙無効が確定したため、神丸は失職となった。しかし同年9月15日に出直し選挙が行われ、現職の神丸が再選した。
2018年(平成30年)8月30日 - 8.30粟島浦村豪雨災害が発生。後に国の激甚災害に指定された。

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Quelle: Text: Wikipedia – „粟島浦村“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: friendD, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons