名古屋市: 歴史
=== 先史 ===
縄文時代
大曲輪貝塚や下内田貝塚など、縄文時代前期・晩期を中心とする集落の遺跡が、瑞穂区で発見されたことにより、当時の海岸線が現在の御器所台地などの台地や丘陵の縁に当たる場所まで入り込んでいたことが示された。
弥生時代
弥生時代前期の遺跡が市北部の西区から清須市にかけて、西志賀遺跡や朝日遺跡などの大規模環濠集落の跡が発見された。また、熱田台地にある熱田区の高蔵遺跡や笠寺台地にある南区の見晴台遺跡など、台地や丘陵地にも大規模な集落跡が発見されている。
天火明命を祖神とする尾張氏が本拠を置いた。尾張氏は、高倉下や天村雲命など古来より天皇家との繋がりが深く、婚姻関係による女系の系譜で近畿のヤマト王権の天皇家と深く結びつくことによって強大な勢力を築いた。
古墳時代
景行天皇の時代 - 尾張国造の乎止与命の子である建稲種命が日本武尊の東征の際、副将軍となる。建稲種命の妹である宮簀媛は日本武尊の妻となって出雲発祥の三種の神器のひとつ草薙剣(天叢雲剣)を預かり、熱田神宮を建ててこの剣を祀った。当時の海岸線は現在より内陸寄りで、鳥居前町の熱田は港として長く栄える。
4世紀ごろから6世紀ごろまで、志段味古墳群の白鳥塚古墳や尾張戸神社古墳など造営される。6世紀ごろになると、断夫山古墳や白鳥古墳などの大規模前方後円墳が造営される。古墳の造営は、4世紀から7世紀ごろまで続いたが、年代が古い前方後円墳は、前方部の幅が狭く細長いものが多いが、年代が新しくなるにつれて、徐々に幅が広くなっていることが特徴である。
古墳時代に渡来人によってもたらされたとされる陶器生産技術で、須恵器の造営が市東部の東山古窯跡群で生産され、尾張地方における窯業の産業基盤となる。
飛鳥時代
天武天皇元年(672年) - 壬申の乱のとき、尾張大隅は大海人皇子(天武天皇)に私宅を提供した功により、尾張宿禰姓を与えられる。子の稲置からは熱田大宮司家と称するようになる。
平安時代
久安3年(1147年)- のちに鎌倉幕府を開く源頼朝が現在の熱田区誓願寺で誕生。なお頼朝の母は、熱田大宮司であった藤原季範の娘の由良御前である。
治承3年(1179年)- 平清盛が起こした治承三年の政変により、当時の太政大臣であり琵琶の名手であった妙音院藤原師長が井戸田荘(瑞穂区)へ流刑となり生活していた(藤原師長謫居跡)。
その名残が「妙音通」などの地名に残っている。また、当時師長を慕っていた井戸田荘里長の娘が見送った場所で「白菊の琵琶」を贈ったことに由来する伝説が「枇杷島」の地名として残っている。
その他、闇之森八幡社社伝によると、保元の乱で破れた源為朝が伊豆大島に流罪となるが、流刑先の島で出来た子とされる尾頭次郎義次が尾張国愛知郡古渡へ来たとされる。義次は土御門天皇の命により当時紀伊国で暴れていた鬼党を討伐し、古渡一帯の領地を賦与され、「尾頭町」「尾頭橋」などの地名が残っている。またその際に朝廷から「鬼頭氏」の姓も与えられた。
鎌倉時代
御家人が鎌倉へ向かう道として鎌倉街道が整備され、萱津(あま市)から入り、稲葉地(中村区)、古渡(中区)、井戸田(瑞穂区・上野街道)、鳴海(緑区)が経由地だった。当時の鎌倉街道は井戸田を境に東方面は、潮の満引きによって行程が左右されていた。
室町時代
室町時代は、三管領家の斯波氏が尾張守護を務めた。守護代やその下の奉行として台頭したのが織田氏である。
戦国時代
16世紀 - 織田信長は現在の愛西市で誕生し、ほどなくして中区の那古野城の城主となる。豊臣秀吉は中村区で誕生(その他にも中区でお市の方、中村区で豊臣秀長や加藤清正、名東区で柴田勝家、西区で佐々成政や丹羽長秀、南区で佐久間信盛、中川区で前田利家、緑区で豊臣秀次らも誕生している)。
永禄3年(1560年) - 織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、頭角を現す。
慶長6年(1601年) - 宮宿が東海道五十三次の宿場となり、西隣の桑名までは「七里の渡し」として海上で連絡する。
江戸時代
慶長15年(1610年) - 徳川家康が名古屋城を築城。御三家の尾張藩を立てる。
慶長17年(1612年) - 清洲越しにより、清洲から町を移転。
元和2年(1616年) - 尾張藩初代藩主である徳川義直が尾張に入国する。
元和4年(1618年) - 徳川家康の三回忌で東照宮祭(名古屋祭)が始まる。
正保4年(1647年) - 熱田新田開拓着工。
慶安3年(1650年) - 第2代尾張藩主に徳川光友が就く。
慶安4年(1651年) - 徳川光友が父である徳川義直の菩提を弔うために建中寺を建立し、尾張徳川家の菩提寺とする。
万治3年(1660年) - 万治の大火により3,000近い民家が焼失し、これを機に広小路を開く。
寛文5年(1665年) - 尾張藩に寺社奉行設置される。
元禄元年(1688年) - 八事山興正寺建立。
元禄8年(1695年) - 大曽根別邸(現在の徳川園)を建造し、光友の隠居所となる。
正徳3年(1713年) - 第6代尾張藩主に徳川継友が就く。
享保15年(1730年) - 第7代尾張藩主に徳川宗春が就き、名古屋の商業都市化を推進。
享保17年(1732年) - 遊廓が許可され西小路などに郭ができる(4年で廃止)。
享保20年(1735年) - 御下屋敷御薬園で朝鮮人参、甲州甘草の栽培始まる。
元文4年(1739年) - 宗春が蟄居を命じられ、第8代尾張藩主に徳川宗勝が就き、7年間の倹約令が出る。
宝暦11年(1761年) - 第9代尾張藩主に徳川宗睦が就く。
明和7年(1770年) - 呉服町から出火し大火となる。
天明3年(1783年) - 尾張藩藩校明倫堂(愛知県立明和高等学校の前身)開校。
寛政4年(1792年) - 尾張藩、米切手発行。
寛政12年(1800年) - 第10代尾張藩主に徳川斉朝が就く。
享和元年(1801年)- 熱田前新田完成。
文政10年(1827年) - 第11代尾張藩主に徳川斉温が就く。
天保10年(1839年) - 第12代尾張藩主に徳川斉荘が就く。
天保13年(1842年) - 天保の改革により尾張藩でも株仲間が解散となり、国産会所が設置される。
弘化2年(1845年) - 第13代尾張藩主に徳川慶臧が就く。
嘉永2年(1849年) - 第14代尾張藩主に徳川慶勝が就き、のちに新政府側に組することで江戸幕府を終焉に導く。
嘉永7年(1854年) - 安政東海地震に見舞われる。
安政2年(1855年) - 暴風雨のため新田堤防が決壊し、大被害となる。
安政5年(1858年) - 第15代尾張藩主に徳川茂徳が就く。
文久2年(1862年) - 第16代尾張藩主に徳川義宜が就く。
慶応3年(1867年) - ええじゃないかが名古屋でも起こる。 …