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京都市: 歴史

京都市: 歴史

=== 先史・古代 ===

京都市域を含む京都盆地一帯では、旧石器・縄文・弥生各期の遺物・遺構が確認されている。弥生時代には稲作がもたらされ、桂川・鴨川など中小河川に面した湿地周辺を中心に遺跡が分布する。古墳時代には盆地西部の桂川流域と、盆地東部の高野川流域などに古墳が分布した。4 - 5世紀にはヤマト王権の影響下で県主が置かれ、屯倉など朝廷直轄地の設営も行われた。古代の京都では秦氏をはじめとする渡来系氏族が勢力を広げ、寺院の建立などにも関与した。
桓武天皇はこうした渡来系氏族との関係も背景として、延暦3年(784年)に、当時の宮都であった平城京から京都盆地の長岡京への遷都を進めたが、政情不安や災害などを背景に、延暦13年(794年)には平安京へ再び遷都した。平安京は条坊制にもとづく都城として設計されたが、造営が途中で中止されたこと、右京(京域の西半)が低湿地であったことなどから、市街の発展は左京(京域の東半)中心の不均衡なものとなった。10世紀にはすでに中心道路の朱雀大路すら形骸化しており、院政期には天皇が里内裏にて過ごすことが常態化した。左京においては塀で囲まれていた条坊もほとんど無視されるようになった。人口密集地では条坊を突き抜けた非公式の道路である辻子、官道を耕地や宅地とした巷所などもあらわれた。また、平安時代の中・後期以降は、白河・鳥羽など、平安京の郊外にも都市区画が設営された。

鎌倉時代には政治の中心が鎌倉へ移るが、京都は朝廷・寺社の所在地として依然として大都市であり続けた。鎌倉幕府は京都守護を置いて京都を管理していたが、承久の乱を経た承久3年(1221年)にこれを廃し、六波羅探題を設置した。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政は京都を中枢として執り行われ、続く室町幕府もこれに倣った。将軍御所が室町に設置されて以降、左京北端周辺に広がる上京が政治的都市として、その南にある下京が商業地区として発展した。室町後期の応仁の乱は市街地、とくに上京に大きな被害を与えた。このころより都市構造は大きく変化し、両地区はそれぞれ惣構をめぐらせて都市を防衛するようになった。また、同時期には住民自治の枠組みとして町組の形成も進んだ。
戦国期の永禄11年(1568年)には、織田信長が足利義昭を奉じて上洛した。信長の統治は朝廷・公家など既存勢力に配慮した比較的保守的な面をもったが、信長没後に京都を支配した豊臣秀吉は関所・座の撤廃や寺院の集約、町割りの再編など都市改造を進め、自らの居館である聚楽第を中心とする開発を推進した。また、天正19年(1591年)には京都全体を囲む土塁である御土居が築かれた。
江戸時代には政治の中枢機能は江戸に移るも、京都は江戸・大坂と並ぶ三都のひとつとして、幕藩体制の政治経済において重要な地位を占め続けた。とはいえ京都には江戸・大坂と比較すると水運上の不利があり、17世紀後半以降は大坂への京都商人の進出も進んだ。江戸幕府は京都所司代と京都町奉行を通して都市行政を管理したが、一方で幕政の中心地であるところの二条城だけではなく、朝廷の中心地であるところの御所も近世京都の中核として機能した。

慶応3年(1867年)、徳川慶喜は二条城にて大政奉還を宣言し、翌年の鳥羽・伏見の戦いを経て新政府の権力が確立していく。明治新政府は一時京都で政務を行ったが、明治2年(1869年)には東京奠都が行われ、京都は人口流出など経済的打撃を受けた。「京都市」が成立するのは、1888年(明治21年)の市制公布によってである。京都においては殖産興業が模索され、たとえば1904年(明治37年)に2代京都市長となった西郷菊次郎は、第二琵琶湖疏水の開削と発電事業、上水道の設置、道路の拡張と市営電鉄の敷設からなる京都市三大事業を推進した。これらの事業は1910年(明治43年)までに起工され、大正期に完成した。
太平洋戦争期には建物疎開が実施されたものの、京都は原子爆弾投下の候補地となっていたこともあって、被害が比較的少なかったが空襲を受けている(京都空襲)。戦後の1956年(昭和31年)、京都市は政令指定都市となった。昭和30年代後半ごろよりスプロール化が激しくなり、住宅街整備のために区画整理が進められたほか、団地の建設も行われた。1994年(平成6年)には、京都市および宇治市、大津市の寺社および二条城が「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。1997年(平成9年)12月には、国立京都国際会館で「地球温暖化防止京都会議」(COP3)が開催され、京都議定書が採択された。2023年(令和5年)には、文化庁が京都市内に移転した。

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Quelle: Text: Wikipedia – „京都市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Kok Leng Yeo from Singapore, Singapore, CC BY 2.0 – Wikimedia Commons