北九州市: 歴史
令制国においては、北九州市における門司区・小倉北区・小倉南区の全域、および、八幡東区の東半分に相当する地域は豊前国(企救郡)、八幡西区・若松区・戸畑区の全域、および、八幡東区の西半分に相当する地域は筑前国(遠賀郡、鞍手郡)に属しており、別の国であった。
大化元年(645年)には今の和布刈神社付近に「文字ガ関」が置かれたといい、門司の地名由来となっている。古代に九州地方を統括していた大宰府への第一の関所の位置付けである。
1871年8月29日の廃藩置県により、豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となった。しかし、1876年8月21日の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併した。それ以降、北九州市の市域に相当する地域は全体が福岡県に属するようになる。
この豊前国と筑前国とも、山口市に拠点を置く西日本最大の大名であった大内氏の時代には、この大内氏により守護されており、文化圏の枠組みでは、九州よりも本州や瀬戸内海岸の文化の影響が強い。また、この界隈の基礎となった官営八幡製鉄所の建設には、明治の長州閥が深く関わっており、歴史的にも豊前と長州の2地域は密接である。
1889年の市制・町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市(後の八幡東区全域と八幡西区黒崎地区に相当する区域。八幡西区の残りの地域は1937、1944、1955年に合併)が成立した。当時より五市(場合によっては下関市、中間市を含めた七市)の合併が提起されていたが、1963年2月10日にこの5市が合併(新設合併)し、同年4月1日に政令指定都市となった。
北九州市は昔から交通の要衝であり、重化学工業で栄えた都市でもある。古くから筑豊地方、京築地域、遠賀地方、福岡市周辺はもとより、山口県の下関市、宇部市、山陽小野田市、美祢市、大分県の中津市、宇佐市などの地域との関係が歴史的・文化的に密接であり、本市を中心にこれら3県に跨がる関門都市圏を形成している。
特に山口県とは歴史的に非常に強い関係があり、文化面・経済面での影響を強く受けている。市内で使われる北九州弁も周辺地域の影響を濃く受けているが、先述の通り歴史上別の国であったことも影響し、市内でも西部と東部で方言に差異が見られる。
また、響灘に面していることもあり、今の市域全体が古くから軍事の要衝ともなっていた。関門海峡では1185年に壇ノ浦の戦いがあり、明治期には西日本最大の要塞であった「下関要塞」の一部として指定され、主だった山や小倉城址、今の若松区の海岸地帯などは一般人の出入りが禁止・制限された。さらに小倉には陸軍造兵廠が置かれ、1945年にはここが長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾の最初の投下目標となった(長崎市への原子爆弾投下も参照)。
文豪・森鷗外が小倉に住んでいたのも陸軍の軍医としてであった。第二次世界大戦後はそれらの施設や民間の建物などがアメリカ軍に接収され、今のNHK北九州放送局も米軍向け放送を一時行っていた。市内の一部には軍事都市の名残をとどめる史跡が存在する。
==== 古墳 ====
一本松塚古墳(小倉北区)- 市指定史跡
荒神森古墳(曽根古墳群、小倉南区)
上ん山古墳(曽根古墳群、小倉南区)- 市指定史跡
茶毘志山古墳(曽根古墳群、小倉南区)- 市指定史跡
御座古墳群(小倉南区)
小田山古墳群(若松区)- 市指定史跡
645年 - 文字ガ関が設置
740年 - 藤原広嗣の乱。小倉北区板櫃川で広嗣軍と官軍の会戦が発生する。
769年 - 宇佐八幡宮神託事件。和気清麻呂が大隅国へ配流される途中、道鏡の追っ手により足を負傷したが、足立山の冷泉で平癒した伝説がある。
1185年 - 壇ノ浦の戦い。現在のJR門司駅周辺は、源平合戦に際して安徳天皇がこの地に住んだことから「大里(だいり←内裏)」の地名が残る。また、小倉南区の「隠蓑」の地名は、壇ノ浦で入水したと見せかけ源氏の追っ手を逃れていた安徳天皇が、藁の中に身を隠されていたという伝承にちなむ。
1244年 - 門司城の築城工事始まる。
1403年 - 大内盛見が豊前守護に任じられる。
1477年 - 大内政弘が筑前、豊前の守護職に任じられる。
1551年 - 大内義隆が、家臣陶晴賢のために自殺。この陶氏の要請で、弟、晴英が大内氏を継いだため、これに乗じた大友義鎮が大内氏旧領の豊前、筑前を取り込み、制圧することに成功。
1587年 - 豊臣秀吉の九州平定に伴い、毛利勝信が小倉六万石に封じられる。
1600年 - 関ヶ原の戦いの論功行賞により、細川忠興が豊前39万9000石に加増移封。毛利勝信・毛利勝永親子は西軍に与したため改易。
1602年 - 小倉城築城。
1612年 - 巌流島の決闘。
1632年 - 細川忠利が熊本に移封。小笠原忠真が小倉15万石に封じられる。以後、幕末まで小笠原氏が小倉を統治する。
1866年 - 小倉藩と長州藩の間で長州戦争が勃発し一部長州に占領される。以後境界は明治まで変更されなかった。
1869年 - 企救郡百姓一揆発生。
1871年 - 廃藩置県により、小倉県及び福岡県が発足する(1876年に、小倉県は福岡県及び大分県に分割して、編入する)。小倉に西海道鎮台配置。
1875年 - 小倉に陸軍歩兵第14連隊が設置される。連隊長心得として乃木希典が着任する。
1889年 - 渋沢栄一らにより「門司築港株式会社」発足、11月に門司港が国による輸出港指定を受け外国貿易港となる。
1891年 - 九州鉄道本社が門司に移転、門司(現門司港駅) - 高瀬(現玉名駅)間開業。筑豊興業鉄道若松 - 直方間開業。
1893年10月1日 - 門司に大阪支店に次ぐ2番目の支店となる日本銀行西部支店(後に北九州支店)設置。初代支店長は高橋是清。
1898年10月1日 - 小倉に陸軍第12師団配置。
1899年4月1日 - 門司町が市制施行して、門司市となる。
1900年4月1日 - 小倉町が市制施行して、小倉市となる。
1901年
2月5日 - 官営八幡製鉄所が操業を開始する。
11月18日 - 伏見宮貞愛親王臨席の下、製鉄所作業開始式挙行(起業祭の由来)。
1902年3月27日 - 東筑中学校(現東筑高等学校)が、遠賀郡洞南村大字折尾の新校舎に移転、現市域初の旧制中学校となる。
1905年 - 日露戦争の捕虜収容所が門司市小森江に作られる(1906年10月閉鎖)
1907年7月12日 - 九州鉄道国有化、帝国鉄道庁九州帝国鉄道管理局(後の門司鉄道管理局)設置。
1914年
2月 - 門司駅(現門司港駅)駅舎落成。
4月1日 - 若松町が市制施行して、若松市となる。
1917年3月1日 - 八幡町が市制施行して、八幡市となる。
1918年 - 門司、小倉、若松、戸畑、八幡に米騒動が波及。暴徒鎮圧の為に小倉第12師団(歩兵第47連隊)が出動。
1924年9月1日 - 戸畑町が市制施行して、戸畑市となる。 …