大田区: 歴史
古代以前
先土器時代には人が住んでいたことが、久が原小学校内遺跡調査により確認されている。続く時代の遺跡では、縄文時代は大森貝塚が、弥生時代は山王遺跡が発見されている。
古墳時代には強大な首長がいたと推測され、荏原台古墳群が多摩川流域沿いにある。
日本が令制国に分けられると、現在の大田区は武蔵国荏原郡とされた。奈良時代から平安時代の官衙跡もあり、数多くの横穴墓が斜面に掘られ、村落が広がりを見せていたと思われる。
中世
豪族の居館・城館跡が多く残されている。南北朝時代には、蒲田を領した武蔵江戸氏支流が蒲田氏を名乗り、そのはじめである蒲田忠武らは、南朝方の新田義興を多摩川の矢口渡で謀殺した
近世
戦国時代に武蔵国を支配した後北条氏は、豊臣政権による小田原征伐で大名としては滅び、その旧領には徳川家康が国替えとなった。関ヶ原の戦いで勝利した家康は江戸幕府を開き、江戸南郊である現在の大田区は、天領、幕臣知行地、近辺の寺社領となった。
多摩川には六郷橋が架橋され、その他の各所では渡し船が盛んであった。
江戸湾(現在の東京湾)では海苔が養殖されたほか、大森の麦細工、梨などが名物であった。
近代以降
1889年(明治22年)5月1日:町村制が施行され、東京府荏原郡のうち現在の大田区のエリアでは以下の町村が誕生した。
大森村、入新井村、池上村、馬込村、調布村、羽田村、蒲田村、矢口村、六郷村
1897年(明治30年)7月20日:大森村が町制施行して大森町となる。
1907年(明治40年)
8月25日:台風で多摩川の堤防が決壊し、2,000戸以上が浸水。羽田村鈴木新田の橋が流失。
10月8日:羽田村が町制施行して羽田町となる。
1910年(明治43年)8月8日 - 11日:多摩川が決壊し、入新井村で家屋800戸浸水する(明治43年の大水害)。
1917年(大正6年)10月1日:暴風・高潮により被害発生(大正6年の高潮災害)。糀谷では1.5メートルの高潮が発生し、森ケ崎では多数の家が押し流される。
1919年(大正8年)8月1日:入新井村が町制施行して入新井町となる。
1922年(大正11年)10月10日:蒲田村が町制施行して蒲田町となる。
1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により、大森町・入新井町・蒲田町で死者が出たほか、大森町森ケ崎の護岸や羽田町六間堀の水門が破損し浸水被害が出る。また、被害の大きい東京市からの流入により、人口が増加する。
1926年(大正15年)8月1日:池上村が町制施行して池上町となる。
1928年(昭和3年)
1月1日:馬込村が町制施行して馬込町となる。
2月11日:矢口村が町制施行して矢口町となる。
4月1日:六郷村が町制施行して六郷町に、調布村が町制施行改称して東調布町となる。
1932年(昭和7年)10月1日:記町村が東京市に編入され、大森・入新井・池上・馬込・東調布の5町域をもって大森区が、羽田・蒲田・矢口・六郷の4町域をもって蒲田区がそれぞれ誕生した。なお、1932年(昭和7年)4月26日に、東京市から東京府へと提出(内申)された市域拡張案では、大森町・入新井町・羽田町で大森区、蒲田町・池上町・東調布町・矢口町・六郷町で蒲田区、馬込町は荏原町と共に荏原区となる予定であった。
1943年(昭和18年)7月1日:東京都制が施行され、大森区と蒲田区を含む東京市35区は東京都の区となる。
1947年(昭和22年)3月15日
大森区と蒲田区が合併し、大田区が成立。
旧大森区の範囲は、おおむね現在の千鳥、中央、石川町、鵜の木、山王、上池台、池上、仲池上、北千束、南千束、久が原、南久が原、北嶺町、東嶺町、西嶺町、南雪谷、東雪谷、雪谷大塚町、田園調布、田園調布本町、田園調布南、北馬込、南馬込、東馬込、西馬込、中馬込、大森北、大森南、大森東、大森西、大森中、大森本町である。
旧蒲田区の範囲は、おおむね現在の下丸子、多摩川、萩中、矢口、東矢口、羽田、本羽田、羽田旭町、羽田空港、北糀谷、東糀谷、西糀谷、南六郷、東六郷、西六郷、仲六郷、蒲田、南蒲田、東蒲田、西蒲田、新蒲田、蒲田本町である。
この両区域のほかに、埋立地として、ふるさとの浜辺公園、東海、京浜島、城南島、昭和島、平和島、平和の森公園、令和島がある。
1954年(昭和29年)5月1日:品川区との区境を変更。山王一丁目の一部が大井坂下町・大井水神町に、入新井一丁目の一部が大井海岸町に、大井坂下町の一部が入新井五丁目に編入する。
1954年(昭和29年)10月30日:大田区民会館(現:池上会館)の落成を記念して「大田区歌」を制定。
1958年(昭和33年)9月25日:狩野川台風により区内の3分の2が浸水、2人死亡。
1966年(昭和41年):人口が大田区史上最大750,412人となる。
1974年(昭和49年)4月1日:区役所に公害環境部を設置し、部内に公害対策課・公害規制課・環境課を設置する。
1980年(昭和55年)5月16日:防災行政無線が開局される。
1998年(平成10年)10月3日:東京都内で6番目に戸籍簿をコンピュータ化し、特別出張所での分散管理から一括管理となる。
2016年(平成28年)4月26日:合併70周年記念イメージソング「笑顔、このまちから」を選定。
2025年(令和7年)9月11日:大田区に記録的短時間大雨情報が発令。羽田のアメダスでは10分間降水量・1時間降水量ともに観測史上最高値を記録。上池台など699件で浸水被害発生。
区役所本庁舎沿革については、大田区役所を参照のこと。
合併した大森区と蒲田区からそれぞれ1文字ずつ採った合成地名である。
合併時に両区の協議会で出された案には、下記のような例があった。
その他、東京新聞による新区名募集には、多摩川区・東海区・京浜区などが挙がった。
特に、大森区については、最終候補に上がっていた。蒲田区は戦争の被害が大きく、財政状況も破綻に近い状況であることから、新区名に蒲田の文字を入れることは強くこだわらなかった。「大森区」や「王森区」と命名することは、蒲田区は当初受け入れられなかった。先に合併時の名称が品川区に決まった旧品川区と旧荏原区の事例を受け、全員一致で新区の名称を大森区とすることに賛成した。しかし、大森区側の協議会委員が「蒲田区に財政の負担能力がない」との趣旨の発言をし、蒲田区側が吸収合併される印象を受けたため、「大森区」の命名案は白紙となった。