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船橋市: 歴史

船橋市: 歴史

=== 市名の由来 ===

市名は直接には、市成立以前の船橋町にちなむ。船橋の地名の起源については諸説あるが、伝説では日本武尊が東征の折、川を渡るために船で橋を作ったのが由来とされている。市内を流れる海老川に船を並べ、その上に板を渡し橋を造った。そのような船で造られた橋のことを「船橋」ということから船橋となった、というのが最も有力な説である。海老川はかつて現在よりも水量、川幅があったとされ、現在は陸地であるが夏見干潟と呼ばれる大きな入り江があり、港として栄えていたという。
船橋という地名が世間で用いられるようになったのは鎌倉時代とされており、同時代の歴史書「吾妻鏡」に「船橋」という地名が出てくる。

※本節では大観のみ記述する。地域ごとに独自色が強いので、詳細な歴史記述は旧町村の記事を参照

海老ヶ作遺跡や高根木戸貝塚など規模の大きな貝塚が発見されていることから、縄文時代からかなり大きな集落が存在していたと思われる。
平安時代中期の『日本三代実録』に「下総の国意富比神」とみえる。この意富比(おおい)神社が船橋大神宮の前身とされる。
中世には海老川河口の港として交通の要地となり、また意富比神社の門前には市が立って大変な賑わいを見せた。
近世には房総往還・御成街道・佐倉街道などの主要街道沿いの地域は間の宿として栄えた。特に、成田山信仰が盛んとなると、成田山への参拝客の休憩地として一層発展した。
近代になると、川端康成の書いた小説に『船橋は兵隊の町』と書かれている通り、間の宿に代わり、軍都習志野の近郊都市として、兵隊・軍属相手の産業が発達した。また、都市部では、東京の近郊都市として近代化が進み、電気・通信・交通・医療などの各方面のインフラが整備され、花輪や宮本などの海岸部には高級別荘地として山崎別荘が造成された。
敗戦直後、戦災を免れた上に物資の集散地だったことから、闇市が隆盛を極め、「日本の上海」という異名をつけられたこともある。
戦時中から東京方面の軍事工場が疎開していたが、戦後の経済成長の中で、海岸部埋立地には京葉工業地帯が成立した。
市制施行は千葉市、銚子市、市川市に続く4番目であった。
1960年完成の公団住宅前原団地の建設を契機に、内陸部には多くの住宅団地が開発され、東京のベッドタウンとして人口が増加した。

==== 先史時代 ====
有史以前 - 富士山や赤城山、筑波山などの噴火活動と地殻変動によって、陸地が形成された。その後、東京湾沿いの台地が海水や雨水などによって侵食され、谷津地形が形成された。
旧石器時代 - 市域の下総台地上には、法蓮寺山遺跡・八人割遺跡・西ノ台遺跡などの旧石器時代に遡る遺跡が分布し、3万年ほど前に居住者がいたと考えられている。
西ノ台遺跡(二和西)・法華寺山遺跡(藤原)・ 八人割遺跡(藤原町)・下郷後遺跡(藤原)

縄文時代

早期 -取掛西貝塚(米ケ崎・飯山満) 佐倉道南遺跡(前原)・飛ノ台貝塚(海神)などの遺跡が見られる。
前期 - 西ノ台遺跡(二和西)・飯山満東遺跡(芝山)・古和田台遺跡(新高根)・法蓮寺山遺跡(藤原)・下郷後遺跡(藤原)・八栄北遺跡などの遺跡が見られる。
中期 - 海老ヶ作遺跡(大穴町)・高根木戸遺跡(西習志野)・高根木戸北遺跡(西習志野)・沢之台遺跡(七林町)・中野木台遺跡(中野木町)・飯山満東遺跡(芝山)・中野木新山遺跡(中野木町)・飯山満台遺跡・内掘込遺跡などの遺跡が見られる。
後期 - 古作貝塚(古作町)・宮本台遺跡(東船橋)・薬園台遺跡(薬円台)・池谷津遺跡(小室)・金堀台貝塚(豊富町)などの遺跡が見られる。
晩期- 金堀台貝塚(豊富町)・池谷遺跡(小室)などの遺跡が見られる。
弥生時代

中期 - 法蓮寺山遺跡(藤原)夏見大塚遺跡(夏見台)などの遺跡が見られる。
西暦110年(景行天皇40年) - 意富比神社が創建される。
後期 - 夏見台遺跡(夏見台)・夏見大塚遺跡(夏見台)・立場遺跡(金杉)などの遺跡が見られる。
古墳時代 - 総国の千葉国造と印波国造の所轄となる。

前期 - 西ノ台遺跡(二和西)などの遺跡が見られる。
中期 - 外原遺跡(田喜野井)・柏上遺跡(八木ヶ谷)・夏見台遺跡(夏見台)などの遺跡が見られる。
後期 - 夏見台遺跡(夏見台)・小室遺跡(小室)・海神台西遺跡(海神)・印内台遺跡(印内)
飛鳥時代 - 兵部省所管の大結馬牧が夏見付近に設置される。奈良時代 - 印内台遺跡(印内)・夏見台遺跡(夏見台)・本郷台遺跡(西船)・海神台西遺跡(海神)などの遺跡が見られる。

645年 - 大化の改新後、市南部及び中部・東部(元禄以後、千葉郡となる)は下総国葛飾郡に、北部は千葉郡の管轄となる。

平安時代

前期 - 夏見台遺跡(夏見台)・夏見大塚遺跡(夏見台)・印内台遺跡(印内)・印内遺跡(印内)・本郷台遺跡(西船)・本郷台遺跡(西船)・海神大西遺跡(海神)などの遺跡が見られる。
863年(貞観5年) - 『日本三代実録』に「下総国意富比神社」の名が見られる。
927年(延長5年) - この年に成立した『延喜式』に「意富比神社」・「二宮神社(論社)」の名が見られる。
935年(承平5年) - この年に成立した「倭名類衆抄」の郷名に「栗原郷」の名が見られる。
2月 - 平将門の乱が起こる。市内各地に将門伝説が伝わる。
1138年(保延4年) - 海老川流域の湊郷、夏見郷、金曾木郷、宮本郷、高根郷が伊勢神宮の御厨(船橋御厨)となる。御厨内に夏見神明社・豊受神社などが創建される。
1186年(文治2年) - 『吾妻鏡』によれば船橋御厨が伊勢神宮の御厨から白河院領となる。
鎌倉時代

12世紀末 - 豊富地区の一部が萱田神保御厨(臼井氏の荘園)となる。
14世紀 - 歴史書「吾妻鏡」で、船橋という地名がはじめて現れる。
1331年(元徳3年) - 『中山法華経寺文書』に「古牟呂村」(小室村)の名が見られる。
室町時代・戦国時代

南北朝時代から室町時代にかけて市域の西部・北部は、法華経寺領(千葉胤貞より移譲)、東部は馬加氏(馬加城主)の領地となる
戦国時代前後、市域を含む下総国西部が千葉氏家臣の原氏(生実城主)の領地となる。
1410年(応永17年) - 『浄光院文書』に「大神保村」の名が見られる。
1423年(応永30年) - 御滝山金蔵寺開山。
1445年(文安2年) - 「下総三山の七年祭り」の祭礼の元となった磯出祭りが行われるようになる。
1563年・1564年(永禄6年・永禄7年) - 小金原(習志野台にあった酒山砦)で第二次国府台合戦の小競り合いが起きる。
1566年(永禄9年) - 上杉謙信の攻勢に伴い、原氏が臼井城に拠点を移動。栗原・船橋の領地が高城氏(小金城主)に移譲される。
1568年(永禄11年) - 北条氏の豪族に攻撃され、夏見城(現:長福寺)が落城。

安土桃山時代

1578年(天正6年) - 領主の高城胤辰が船橋大神宮の門前町の自治を許す。
1590年(天正18年) - 北条氏滅亡に伴い、徳川氏が関東に入府。武田信吉の領地となる。幕府によって、市域中部一帯に小金牧が設置される。
江戸時代 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „船橋市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: LERK, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons