青森市: 歴史
=== 前近代 ===
縄文時代には集落が築かれていた(三内丸山遺跡)。室町時代には南部氏支族である堤氏の領地であった。堤氏は戦国時代末期に津軽氏に攻め滅ぼされ、外ヶ浜は弘前藩の領地となった。青森は弘前藩(津軽藩)初代藩主津軽為信のときに開港が計画されたといわれ、構想を引き継いだ2代藩主津軽信枚とその家臣である森山弥七郎によって寛永期に港町が築かれ、その後商港および北方との交通港として発展した。
居城弘前城の建設(慶長16年〈1611年〉)と城下町弘前の整備を終えた弘前藩は江戸との海運を目的とした港の開発を企図した。信枚は森山を開港奉行に任じ、寛永元年(1624年)善知鳥村(うとうむら、青森の古名)に港を開いたが(廻船運航の許可を得た寛永2年(1625年)または町割りがされた寛永3年(1626年)が開港年とされることもある)、このとき海岸付近にハイネズ(浜松・磯馴松(そなれまつ))が繁茂する高さ一丈(約3メートル)ほどの小丘があり、「青森」と呼ばれて漁船が帰るときの目標物になっていたことから、開港に際してその名を採って青森村と改称した。次いで寛永3年(1626年)に信枚は森山に青森の町づくりを命じ、浜町・本町(大町)・米町の3町がつくられ、青森町が成立した(当時は「青盛町」との表記もあった)。同年、土地と建築資材の無償提供、10年間の免税などの条件が示されて移住が奨励されると、近江・越前などから移住が相次ぎ、開港からわずか数年で戸数1000ほどの町が形成された。
江戸中期以降弘前藩最大の港および城下弘前に次ぐ町となった。
浪岡
浪岡には室町時代北畠親房の子孫が移り住み(浪岡北畠氏)、浪岡城を拠点に戦国大名化して北津軽・東津軽に勢力を張ったが、大浦為信(津軽為信)に攻め滅ぼされた。江戸時代、青森と弘前の中間に位置する浪岡は羽州街道の宿場として栄え、多くの人や物資が行き交った。
年表
縄文時代前期中葉 - 中期末葉(約5500年 - 4000年前) - 三内丸山遺跡(特別史跡)の集落が繁栄する。
縄文時代後期前半(約4000年前) - 小牧野遺跡(国の史跡)の環状列石が構築される。
平安時代(10世紀ごろ - 12世紀ごろ) - 高屋敷館遺跡(国の史跡)の環壕集落。
文治06年(1190年) - 大河兼任軍と鎌倉軍が善知鳥前の梯(現在の善知鳥崎)で戦う。
応永年間(1394年 - 1428年) - 北畠親房の子孫が浪岡に来住。
応仁年間(1467年 - 1468年) - 浪岡北畠氏、浪岡城(国の史跡)を構築。
明応07年(1498年) - 南部信時の四男堤光康、横内城を構築。
天正06年(1578年)7月 - 浪岡城、大浦為信(津軽為信)に攻められて落城。
天正13年(1585年)3月 - 大浦為信、外が浜にある油川城を攻略。一帯は大浦氏(津軽氏)の領有となる。
元和年間(1615年 - 1624年) - 野内番所が置かれる。
寛永元年(1624年) - 弘前藩、善知鳥村に港の建設を始める。
寛永02年5月15日(1625年6月19日) - 弘前藩、津軽から江戸へ廻船を運航する許可を幕府より得る。
寛永03年4月6日(1626年5月1日) - 弘前藩、森山弥七郎に町づくりを命じる。
寛文11年(1671年) - 仮屋(藩の出先施設)が設置される。元治元年(1864年)から陣屋と称し明治2年(1869年)に仮屋にもどした。
天明03年(1783年)7月 - 青森騒動。
嘉永06年(1853年) - 大火で安方町の湊番所などが焼失
元治02年(1865年) - 幕府より蝦夷地(北海道)への渡海地に指定される。
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県で弘前藩は弘前県となる。政府は同年9月4日、弘前県に七戸県、八戸県、斗南県、黒石県、館県の5県を併合し( 太政官布告『七戶八戶斗南黑石館ノ五縣ヲ弘前縣ニ併ス』。ウィキソースより閲覧。 )、翌9月5日に熊本藩出身の野田豁通を大参事(知事)に任命した。野田は箱館戦争の際に官軍の拠点となった青森町に駐在した経験から当地の地勢に通じており、県域の中央に位置し、港もあって各方面への交通に利便がある青森町に県庁を置くよう、大参事就任前に政府に伺書を提出していた。政府は野田の建言を受け入れ、直後の9月23日に県庁を青森町に置くことを定めて県名も青森県に改めた( 太政官布告『弘前縣ヲ靑森ニ移シ靑森縣ト改稱』。ウィキソースより閲覧。 )。
1873年(明治6年)3月に大区小区制が実施されて第一大区一小区となった。以下の青森27町で構成された。
1878年(明治11年)の郡区町村編制法では、10月30日に大区小区制が廃止されて第一大区は東津軽郡となった。1883年(明治16年)に第一組戸長役場が設置されて青森18町を所管した。役場の名称は1884年(明治17年)11月から青森安方町外十七ケ町戸長役場となった。
1889年(明治22年)の市制・町村制の実施(明治の大合併)では、従来の青森18町に造道村から独立していた栄町と造道村字浪打・大野村字長嶋を加えた区域をもって4月1日に町制を施行し、青森町(あおもりまち)が発足した。
1897年(明治30年)10月1日に浦町村、滝内村大字古川を編入、1898年(明治31年)4月1日に市制を施行して青森市となる。1939年(昭和14年)6月1日に油川町、1951年(昭和26年)4月1日に滝内村を編入。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)5月3日に大野村、1955年(昭和30年)1月1日に筒井町、横内村、東岳村、高田村、同年1月15日に浜舘村、荒川村、同年3月1日に新城村、奥内村、原別村、1956年(昭和31年)9月1日に後潟村を編入した。1962年(昭和37年)10月1日に野内村を編入。
平成の大合併では、2005年(平成17年)4月1日に浪岡町と合併して青森市を新設し、旧浪岡町の区域に地域自治区浪岡を設置。2006年(平成18年)10月1日に中核市に移行した。
年表 …