品川区: 歴史
品川の名の起こりについては目黒川を参照。
奈良時代、平安時代には既に平安京と国府の中継地点や駅家(うまや)として機能していたという記録があり、交通拠点となっていたと考えられる。令制国としては武蔵国の一部。
江戸時代
五街道中で最も交通量が多い東海道の、江戸から数えて第一の宿場(品川宿)として発展していった。
幕末の文久2年(1863年)には英国公使館焼き討ち事件が起きた。
明治
1889年(明治22年)5月1日
町村制施行により現在の品川区の領域では以下の町村が誕生。
東京府荏原郡:品川町、大井村、大崎村、平塚村
1908年(明治41年)8月1日
大井村が町制施行して大井町になる。
大崎村が町制施行して大崎町になる。
大正
鉄道網の発達や、関東大震災で被害が大きかった旧東京市からの移住により、人口が増加していった。
1917年(大正6年)9月30日
台風に伴う高潮のため、大井町に被害、品川町で4人死亡(大正6年の高潮災害)。
1922年(大正11年)6月
現在の小山七丁目において洗足田園都市の分譲が開始される。
1926年(大正15年)4月1日
平塚村が町制施行して平塚町になる。
昭和
1927年(昭和2年)7月1日
平塚町が改称して荏原町になる。
1932年(昭和7年)10月1日
上記4町が東京市に編入され、品川町、大井町、大崎町の3町域をもって(旧)品川区が、荏原町の町域をもって荏原区がそれぞれ誕生。
1935年(昭和10年)4月1日 - 西大崎四丁目の一部を荏原区に編入、荏原区戸越町の一部を当区に編入する。
昭和
1947年(昭和22年)3月15日 - 東京特別区制実施により、旧・品川区地域と旧・荏原区地域により特別区としての品川区が発足。
1954年(昭和29年)5月1日 - 大田区との区境を変更。山王一丁目の一部が大井坂下町・大井水神町に、入新井一丁目の一部が大井海岸町に、大井坂下町の一部が入新井五丁目に編入する。
1955年(昭和30年)4月1日 - 港区との境界を変更。
1958年(昭和33年)9月26日 - 狩野川台風により目黒川・立会川が氾濫、床上浸水1,295戸、床下浸水940戸。
1963年(昭和38年)3月 - 「品川区民の歌」を制定。
1964年(昭和39年)7月14日 - 品川勝島倉庫爆発火災。消防署員19人が殉職。
1981年(昭和56年)4月1日 - 防災行政無線運用開始。
1985年(昭和60年)3月26日 - 非核平和都市品川宣言。
1987年(昭和62年) - 大井火力発電所爆発事故
平成
1995年(平成7年) - 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
2002年(平成14年)4月1日 - 防災行政無線放送など変更。
令和
2025年(令和7年)9月11日 - 品川区に記録的短時間大雨情報が発令。立会川が氾濫したほか、戸越銀座・二葉ほか区内広範囲で床上浸水893棟、床下浸水311棟。