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豊中市: 歴史

豊中市: 歴史

=== 市町村名の由来 ===
豊島(てしま)の名が文献にみられるようになったのは和銅5年(712年)太安万侶が撰上した『古事記』中巻からで、その後、神護景雲3年(769年)称徳天皇が豊島の人15人に姓(カバネ)を賜わった記録が『続日本紀』にみられる。
1889年(明治22年)の町村制施行により豊島郡豊中村が発足。「豊中」の地名が生まれたのはこのときで、豊島郡の中央にあることから名付けたと伝えられている。これらの「豊」の字は旧字体では「豐」であり、「豐中」と表記した(器を意味する古字の「豊」ではない)。

==== 近世まで ====
684年(白鳳12年) - 天武天皇が桜塚の祇園神祠(現在の原田神社)で勅祭を執り行い、神宝・神鏡ならびに獅子頭を奉納する。桜塚の地は皇族や後の武家に重用されることとなる。桜塚には古墳群が数多存在し、古代より豪族との関係も深い。
712年(和銅5年) - 太安万侶が撰上した『古事記』中巻に「日子八井命(ひこやいのみこと)は茨田連(まむたのむらじ)・手島連(てしまのむらじ)の祖である」と手島連(豊島郡の氏族)の名称が出てくる。
769年(神護景雲3年) 5月 - 称徳天皇が豊島の人15人に姓(カバネ)を授けた(『続日本紀』)。
815年(弘仁6年) - 万多親王らが撰進した『新撰姓氏録』には、当地方の氏族として椋橋部連・天神・服部連・豊島連などの名が記されている。
荘園時代には、椋橋荘、原田荘、服部荘などができる。
院政期には豊島郡の多くは藤原氏の私領になり、藤原氏の氏神春日神社とも密接に結ばれた。
1183年(寿永2年) - 治承・寿永の乱のとき、藤氏長者の近衛基通から春日神社へ寄進され、豊島郡は垂水西牧と呼ばれ、荘園の崩壊後も永く続いた。
1221年(承久3年) 5月 - 長江荘と椋橋荘の地頭が白拍子亀菊の領地を横領し、これがきっかけとなって後鳥羽上皇と鎌倉幕府の間に溝ができ、承久の乱が起こった(『吾妻鏡』・『承久記』(『承久軍物語』))。
1336年(建武3年)2月 - 豊島河原(瀬川宿(現:箕面市)周辺とされる)において後醍醐天皇方の新田義貞ら と足利尊氏方が戦う(豊島河原合戦、『太平記』・『梅松論』)。
1461年(寛正2年)6月 - 久米井用水をめぐって、原田郷と川辺郡田能村との間に相論が行われ、原田郷の勝訴となった。
1467年 - 1477年 - 応仁の乱には、豊中市域も戦乱のちまたになった。椋橋城などはその代表的なもので、東西両軍が秘術をつくした記録が数多く見られる。
戦国時代には刀根山城・勝部城・原田城・西市場城・今在家城・穂積堡など、国人領主や土豪が相次いで居城を築いたが徐々に姿を消す。
1573年(天正元年) - 織田信長からその才を認められて荒木村重が摂津一国を与えられる。
1578年(天正6年)11月 - 荒木村重が織田信長に謀叛をおこす(有岡城の戦い)。信長は刀根山城に拠る。
1579年(天正7年)6月 - 信長に攻められ、伊丹城落城。村重は転々と居城を逃げ回る。
1626年(寛永3年) - 上新田・下新田の開発が行われる。
江戸時代には外様大名の青木氏(1万石)が麻田陣屋を築き、市内の一部を統治した(麻田藩)。このほか、浜には飯野藩の陣屋(浜村陣屋)、桜井谷には岡部藩の陣屋、上新田は淀藩領、そのほかに一橋徳川家領、代官支配地、公家領、旗本領、天領などが入り組んだ。これは江戸幕府が「入組支配」を行い、統一のないものにするための政策で、このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。
1701年(元禄14年)7月 - 岡町の4料理屋が多くの遊女をおいたので、年寄が差し止めた。
1830年(文政13年)8月 - 阿波から始まった御蔭踊りの狂乱が、河内、大和、の村から村へと伝わった。
1867年(慶応3年)12月 - 豊中の各地に社寺のお礼が降った(御札降り)。

1889年(明治22年)- 町村制施行により豊島郡豊中村が発足。「豊中」という呼称の始まりとされる。
1910年(明治43年)2月 - 箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄宝塚線)の開通。これを機に大阪の衛星都市として急激に発展する。
1912年(大正元年) - 庄内村の庄本、三屋を除く各大字にあった神社を一か所に集めて庄内神社が建立される。
1913年(大正2年)5月1日 - 豊中グラウンド(豊中球場)が開設される。
1915年(大正4年)8月18日 - 第1回全国中等学校優勝野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会)が豊中グラウンド(豊中球場)で行われる。
1919年(大正8年)10月 - 待兼山に府立大阪医科大学(現:大阪大学医学部)本科が設置される(校地は1926年に旧制浪速高等学校、現在の大阪大学豊中キャンパス)。
1922年(大正11年)4月 - 大阪府立豊中中学校(現:豊中高等学校)が新設。
1927年(昭和2年) - 府立豊中中学校から豊中駅までの市域最初のバスが運行開始。
1929年(昭和4年) - 十三 - 池田間に阪神合同バス(現:阪急バス)が運転を開始する。
1930年(昭和5年)4月 - 岡町に豊中郵便局が開局する。
1933年(昭和8年)10月 - 豊中町に都市計画法が適用される。
1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風により暴風雨。庄内小学校、熊野田小学校の木造校舎が強風で倒壊、多数の児童が下敷きとなる。
1935年(昭和10年)8月10日 - 集中豪雨により町内で床上浸水約500戸。
1938年(昭和13年)
8月 - 市役所旧庁舎落成。
9月 - 市広報創刊。
1939年(昭和14年)3月 - 市章制定。
1942年(昭和17年)2月1日 - 味噌と醤油、衣料品の配給制度が始まる。
1944年(昭和19年)4月 - 大字南轟木(現・末広町3丁目)に豊中市民病院(現:市立豊中病院)開設。
1945年(昭和20年)6月7日 - 以後、終戦まで6回にわたり米軍による空襲を受ける。罹災面積96ha、罹災人口12,951人、死者575名、重軽傷者898人、罹災家屋3,540戸を数え、大阪府下では大阪市・堺市に次ぐ戦災都市となった。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „豊中市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: yokoyokoi, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons