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宮崎市: 歴史

宮崎市: 歴史

平安時代の頃、別符と呼ばれる豊前宇佐宮領の荘園が大淀川下流域に複数置かれていた。このうち、康和元年(1099年)、安元二年(1176年)に、大墓別符(現在の大塚地区)の開発記録が残っている。その後日向国北部で興隆した土持氏の庶子家が大墓に構え、「土持七頭」の一つとして数えられていた。永徳4年(1384年)5月1日、今川了俊が「土持栄勝を大墓(大塚)別府を本領として安堵する。」との旨の文書が『垂水氏旧蔵伊東家文書』に遺されており、縣土持家の土持宣弘が築いたという蓬莱山城を居城とした大塚土持氏、のちの宮崎土持氏が興る。その頃の蓬莱山城は宗家の縣土持氏を含めた土持氏の居城であった。
室町時代の1551年(天文20年)、太田七郎左衛門忠延が大淀川の右岸河口付近(南側)にある城ヶ崎という地域に町を開いた。この城ヶ崎は赤江港を控えた商人の町として上方との交易が盛んに行われ、俳句などの町人文化が発達した。江戸時代の城ヶ崎と赤江港は伊東氏飫肥藩領内の北東部に立地しており、日向国における商人街、江戸・上方との物流交易拠点として、伊東氏飫肥藩と共に廃藩置県まで室町時代以上に繁栄した。それ以外の地域は農村であり、天領や他藩の飛び地が複雑に入り組んだ辺境の地であった。
1871年の廃藩置県で美々津(みみつ)県と都城(みやこのじょう)県が誕生した時は、大淀川が県境で、現宮崎市域は県境地帯であった。しかし1873年に美々津県と都城県東部が合併し、県の中央部に県庁を置く必要から、宮崎郡上別府村に県庁が置かれ、宮崎県が誕生した。1876年に宮崎県は鹿児島県に合併されて県庁が支庁となり、翌1877年(明治10年)に西南戦争が勃発すると、旧士族の一部が薩摩士族の西郷隆盛一派に加わり、薩摩士族の敗北によって、宮崎県側も巻き込まれる形で混乱し疲弊した。1879年には旧宮崎県が宮崎、那珂、児湯、臼杵、諸県の5郡に分けられ、宮崎支所は廃止され、宮崎郡と那珂郡の郡庁となった。
1883年に飫肥藩士の川越進らによる分県運動によって宮崎県が再置を成し遂げると、再び宮崎県庁が宮崎郡上別府村に設置され、1889年の町村制施行で宮崎町が誕生し、後に宮崎市となる。城下町でもなく港町でもなく明治以降に新たに開かれた県庁所在地は宮崎市の他には札幌市がある程度である。地理的に県の中心部に位置し、広い宮崎平野を後背地とする宮崎市は、県庁を中心として発展していくこととなった。

1873年(明治6年)1月15日 - 美々津県・都城県が合併し宮崎県が発足。県庁が現在の地(当時の宮崎郡上別府村)に置かれた。
1876年(明治9年)8月21日 - 宮崎県が鹿児島県に合併される。
1880年(明治13年)4月24日 - 福島邦成が私財を投じて大淀川に初代橘橋(木橋)を架ける。
1883年(明治16年)
5月9日 - 宮崎県と鹿児島県に分割され再置県が行なわれる。
7月1日 - 宮崎県庁が開庁。
1888年(明治21年)12月1日 - 4代目橘橋(木橋)が現在の位置に架け替えられる。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により現在の市域となる次の町村が発足。
宮崎郡 - 宮崎町・大淀村・大宮村・生目(いきめ)村・瓜生野(うりゅうの)村・田野村・北清武村・南清武村
北那珂郡 - 赤江村・檍(あおき)村・木花村・青島村・住吉村・佐土原村・広瀬村・那珂村
東諸県郡 - 倉岡村・高岡村・穆佐(むかさ)村
1891年(明治24年)7月4日 - 北清武村・南清武村が合併し、清武村となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 佐土原村が町制施行。(同時に北那珂郡は宮崎郡に編入)
1902年(明治35年)5月28日 - 宮崎県立図書館創立
1907年(明治40年)11月2日 - 皇太子嘉仁親王(大正天皇)が宮崎神宮へ親拝。
1912年(明治45年)2月 - 明治天皇が宮崎神宮に太刀を下賜する。
1913年(大正2年)12月15日 - 宮崎駅が開業。
1916年(大正5年)2月11日 - 大淀村が町制施行。
1920年(大正9年)
3月29日 - 皇太子裕仁親王(昭和天皇)が宮崎神宮へ親拝。
4月1日 - 高岡村が町制施行。
1923年(大正12年)12月15日 - 日豊本線が全通。
1924年(大正13年)4月1日 - 宮崎町・大淀町・大宮村が合併し、宮崎市が発足する。人口42,920人、面積45.15km2。
1926年(大正15年)
4月1日 - 赤江村が町制施行。
4月22日 - 「宮崎県観光の父」である岩切章太郎が、宮崎交通株式会社の前身である宮崎市街自動車を設立。
1928年(昭和3年)12月15日 - 宮崎女子師範学校の都城移転問題に絡み県議会議場が襲撃される(宮崎市騒擾事件)。起訴された者は市会議員を含め164人)。
1930年(昭和5年)10月1日 - 人口が5万人を超える。
1932年(昭和7年)4月20日 - 檍村を編入する。
1934年(昭和9年)10月1日 - 神武天皇御東征皇紀2600年奉告祭が行われる。
1935年(昭和10年)11月14日 - 昭和天皇が陸軍特別大演習の折に、神武天皇が東征前まで過ごした皇居跡と伝わる皇宮屋(皇宮神社)へ親拝。
1936年(昭和11年)
11月10日 - 宮崎県営野球場開場。
12月 - 山形屋宮崎支店(現:宮崎山形屋)開店。
1937年(昭和12年)4月19日 - NHK宮崎放送局が開局。
1940年(昭和15年)
- 皇紀2600年に伴う紀元二千六百年記念行事として宮崎神宮境域拡張整備。
宮崎神宮の拡大整備。
皇宮屋(皇宮神社)に皇軍発祥之地の石碑を設置。
皇宮屋より北の台地(現・平和台公園)に八紘之基柱(あめつちのもとはしら 現・平和の塔)建造。
11月25日 - 宮崎県内の日刊紙9紙を統合して日向日日新聞として創刊(1961年1月1日に宮崎日日新聞に名称を変更)。
1942年(昭和17年)
2月11日 - 「宮崎市歌」(初代)を制定。
1943年(昭和18年)
4月1日 - 赤江町を編入する。
12月1月 - 南九州最大の航空基地として旧日本海軍赤江飛行場(現:宮崎空港)開港。
1945年(昭和20年)
3月18日 - アメリカ軍による宮崎県初の空襲を受ける。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „宮崎市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: ja:User:Sanjo, Public domain – Wikimedia Commons