枚方市: 歴史
枚方の地名は古く、日本最古級の文献である古事記、日本書紀、風土記などに登場している。
後期旧石器時代
紀元前30000年前 - 紀元前11000年前:樟葉東遺跡、藤阪宮山遺跡
縄文時代
紀元前5000年前:穂谷遺跡
紀元前5000年前 - 紀元前3000年前:津田遺跡、津田三ツ池遺跡
紀元前1000年前:交北城の山遺跡
弥生時代
紀元前300年前 - 紀元前200年前:私部南遺跡、招提中町遺跡
紀元前200年前 - 100年:交北城の山遺跡、星丘西遺跡、上ノ山遺跡、田口山遺跡
100年 - 200年:藤田山遺跡、茄子作遺跡
200年 - 300年:中宮ドンパ遺跡
古墳時代
300年 - 400年:禁野車塚古墳、万年寺山古墳、藤田山古墳、牧野車塚古墳
507年(継体天皇元年)2月4日(旧暦):継体天皇が樟葉宮(くずはのみや)で即位。
511年(継体天皇5年):山背国(やましろのくに) 筒城宮(つつきのみや)(現在の京都府京田辺市)に移住。
530年?(継体天皇24年):日本書紀に枚方が比攞哿駄(ひらかた)として初出。
奈良時代
711年(和銅4年):山陽道に樟葉駅が設置。
750年(天平勝宝2年):百済寺建立。
785年(延暦4年)11月10日:桓武天皇により日本初の郊祀が執り行われる。
平安時代
933年(承平3年):河内国交野ヶ原が貴族の遊猟地になるとともに禁猟区を意味する禁野という地名ができる。
935年(承平5年):紀貫之が「土佐日記」にて渚の院を記す。
室町時代
1475年(文明7年):蓮如が出口に光善寺を建てる。
1490年(延徳2年):津田正信が津田城を建てる。
戦国時代
1559年(永禄2年):蓮如末子実従が順興寺住持となり、以降寺内町として発展する。
1565年(永禄8年):パードレ・ルイス・フロイスの書いた手紙に「フィラカタ」と記され、初めて西洋に枚方の地名が伝えられる。
安土桃山時代
1595年(文禄4年):秀吉が万年寺山にお茶屋御殿を建てる。
1596年(文禄5年):淀川左岸に文禄堤ができる。
1616年(元和2年)ごろ:岡新町、岡、三矢、泥町が枚方宿とされる。
江戸時代
1689年(元禄2年):旗本久貝(くがい)氏により、長尾陣屋が設けられる。
1807年(文化4年):十辺舎一九が「東海道中膝栗毛」にて三十石船、くらわんか舟を描く。
1826年(文政9年):シーボルトが紀行文に枚方を記す。
明治時代
1869年(明治2年):河内県に編入。河内県が堺県に合併。
1871年(明治4年):枚方に郵便取扱所ができる。
1872年(明治5年):第八区郷小学校(現蹉跎小学校)開校。
1873年(明治6年):第八区郷小学校出張所(現枚方小学校)開校。
1874年(明治7年):磯島村が摂津国島上郡から河内国交野郡に編入。
1880年(明治13年):三矢村浄念寺に枚方郡役所開庁。
1881年(明治14年):堺県から大阪府に編入。
1882年(明治15年):津田に郵便取扱所が出来る。
1885年(明治18年):淀川大洪水が発生。市内の伊加賀付近の堤防が破堤して被害が拡大したことから「伊加賀切れ」との名が残る。
1889年(明治22年):町村制施行により枚方町、蹉跎村(以上茨田郡)、川越村、山田村、牧野村、招提村、樟葉村、津田村、菅原村、氷室村(以上交野郡)の新町村誕生。
1890年(明治23年):枚方区裁判所が設置。
1896年(明治29年):陸軍禁野火薬庫完成。
1898年(明治31年)4月12日:関西鉄道(現JR片町線)開通。津田駅・菅原(長尾)駅の両駅が営業を開始。
1898年(明治31年)6月1日:郡制施行により茨田郡、交野郡、讃良郡が統合され大阪府北河内郡となる。
1909年(明治42年)8月20日:未明 陸軍禁野火薬庫が爆発。
1910年(明治43年)4月15日:京阪電車京阪本線開通。樟葉駅、牧野駅、枚方東口駅(現枚方市駅)、枚方駅(現枚方公園駅)、12月には光善寺駅の各駅が設置される。
1911年(明治44年):電話が開通。
大正時代
1912年(大正元年) : 菊人形展が寝屋川市から移転。
1920年(大正9年) : 枚方初の民間近代工業、日本メリヤス株式会社(後の倉敷紡績枚方工場)開業。株式会社蝶矢シャツ製造所(現CHOYA)枚方工場開業。 …