横須賀市: 歴史
江戸時代以前については三浦半島#歴史も参照。
約3万年前(旧石器時代)に遡る石器や29000年以前に作られた長方形の落とし穴列が船久保遺跡で発見されている。縄文時代に入ると生活の跡である貝塚も市内に散見されるようになる。古墳時代には小規模ながら古墳がつくられ、奈良時代中ごろまでは相模国から上総国へと抜ける古東海道が通じていた。
市内公郷の宗元寺(曹源寺)は県内屈指の古刹であり、三浦郡の行政の中心地であったともいわれる。中世には三浦氏、後に相模三浦氏が一帯を支配するようになるが、戦国時代に北条氏により滅亡、その後徳川家康の領地となる。江戸時代に入ると海上からの首都の玄関口となり、燈明堂や奉行所がおかれた。1720年(享保5年)に浦賀奉行所が置かれて以降は浦賀が商業地として栄えた。
幕末には黒船来航の地となり、観音埼灯台の点灯、横須賀製鉄所や横須賀鎮守府設置、横須賀線の開通など、近代化や国防における要所として発展、県内では横浜市に次いで2番目に市制施行を果たした。昭和時代に入ると大日本帝国海軍の一大拠点となり、軍事施設を持つ周辺の町村を併合することでほぼ現在と同様の市域が形作られた(逗子町は後に分離)。このため横須賀市では昭和と平成の大合併に伴う市町村合併は行われていない。
戦後はアメリカ軍や自衛隊が駐留する一方、東京や横浜など首都圏のベッドタウンとして発展した。
1063年:村岡為通が衣笠城を築き、三浦氏を名乗る。
1180年:衣笠城が落ち、三浦大介義明が死ぬ(衣笠城合戦)。
1247年:三浦氏は北条時頼に滅ぼされるが、佐原十郎義連の子らが北条氏側につき、「三浦介」をつぐ。
1253年:日蓮が米が浜に流れ着いたと伝えられる。
1518年:新井城が北条早雲に攻められ、三浦氏一族滅亡。
1590年:豊臣秀吉が全国を統一し、三浦半島は徳川家康の領地となる。
1648年:浦賀に燈明堂が置かれる。
1660年:砂村新左衛門が内川新田の開発に着手。
1720年:浦賀に奉行所が置かれる。
1842年:大津陣屋が置かれ、江戸湾(現在の東京湾)の守りが固められる。
1853年:浦賀沖にマシュー・ペリーの率いる黒船が来航(中島三郎助が乗船)、久里浜に上陸。
1860年:咸臨丸、浦賀港を出港。
1864年:小栗忠順たちが造船工場をつくるために横須賀の海を調査。
1865年:レオンス・ヴェルニーと小栗の尽力により横須賀製作所建設開始。
1866年(慶応元年):江戸幕府により横須賀造船所が開設。
1869年(明治2年):日本初の洋式灯台観音埼灯台が点灯。
1870年(明治3年):西浦賀と東浦賀が合併、浦賀村となる。
1873年(明治6年):ヴェルニー、走水の湧水を利用し、造船所への引水を計画する。
1876年(明治9年):横須賀村と浦賀村が町制施行。
1878年(明治11年):郡区町村編制法施行。現在の市域は全域が三浦郡となり、横須賀町に郡役所設置。
1884年(明治17年):横須賀鎮守府が置かれる。
1889年(明治22年):町村制施行により、三浦郡横須賀町が発足。横須賀線(大船駅 - 横須賀駅)開通。
1895年(明治28年):東京湾要塞司令部が置かれる。
1901年(明治34年):久里浜海岸でペリー提督上陸記念碑の除幕式が行われる。
1905年(明治38年):横須賀電燈株式会社設立。
1906年(明治39年):横須賀ガス株式会社設立。横須賀町と豊島町が新設合併し、改めて横須賀町が発足。
1907年(明治40年):2月15日、市制施行し、横須賀市が発足。当時の人口は 62,876人。
1908年(明治41年):12月15日、上水道の給水開始(市営走水水道)。
1909年(明治42年):5月23日、若松町平坂下より出火し大火となる。
1916年(大正5年):追浜に海軍航空隊開設。
1921年(大正10年):
横須賀水道が海軍により整備される。
横須賀商業銀行が取り付け騒ぎを起こして休業(後に他行と合併して共信銀行)。
1923年(大正12年):関東大震災で大きな被害を受ける。
1925年(大正14年)
3月23日:市内小川町に本店があった共信銀行が休業。関東大震災後の業務不振によるもの。
4月11日:第二銀行横須賀支店で取り付け騒ぎが発生。銀行は翌日(日曜日)も営業を続け持ちこたえる。
7月:横須賀線が電化される。
1930年(昭和5年):湘南電気鉄道(黄金町駅 - 浦賀駅、現京急本線)運転開始。
1931年(昭和6年):湘南電鉄黄金町駅 - 日ノ出町駅開通、京浜電鉄と乗入れ開始。
1933年(昭和8年):衣笠村、田浦町を編入。
1937年(昭和12年):初代「横須賀市歌」(作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰)を制定。久里浜村を編入。
1938年(昭和13年):6月29日、集中豪雨により横須賀市立豊島小学校で土砂災害が発生。児童5人が死亡。
1942年(昭和17年):2月1日、味噌と醤油の配給制度が始まる(横浜市、川崎市、藤沢市、平塚市、鎌倉市、小田原市も同日から開始)。同時に衣料品にも点数切符制が導入された。
1942年(昭和17年):12月1日、東急(同年京浜電鉄を合併)久里浜線(横須賀堀内駅〜久里浜駅、現堀ノ内駅 - 京急久里浜駅)開通。
1943年(昭和18年):浦賀町、北下浦村、長井町、武山村、大楠町、逗子町を編入。
1944年(昭和19年):国鉄横須賀線(横須賀駅 - 久里浜駅)延伸開通。
1945年(昭和20年):米海兵隊が8月30日に上陸、市内軍事施設は全て進駐軍管理下に置かれる。米海軍横須賀基地司令部が発足。
1948年(昭和23年):横須賀港が重要港湾に指定される。
1950年(昭和25年):旧軍港市転換法に関する住民投票実施、施行。旧逗子町域が横須賀市より分離して逗子町となる。
1952年(昭和27年):保安庁警備隊(後の海上自衛隊)横須賀地方隊が編成される。
1953年(昭和28年):観音崎自然博物館が開設される。
1962年(昭和37年):アメリカのコーパスクリスティ市と姉妹都市になる。
1963年(昭和38年):京急久里浜線(京浜久里浜駅 - 野比駅、現京急久里浜駅 - YRP野比駅)延伸開通。
1966年(昭和41年):京急久里浜線(野比駅 - 三浦海岸駅間)延伸開通。
1967年(昭和42年):2代目「横須賀市歌」(作詞・堀口大學、作曲・團伊玖磨)を制定。
1970年(昭和45年):フランスのブレスト市と姉妹都市になる。
1974年(昭和49年):台風8号による豪雨で大きな被害を受ける(市内の死者13人)。
1975年(昭和50年):横須賀新港開港。
1976年(昭和51年):市の木と市の花が決まる。
1979年(昭和54年):オーストラリアのフリマントル市と姉妹都市になる。
1981年(昭和56年):群馬県倉渕村(現高崎市)と友好都市になる。
1982年(昭和57年):イギリスのジリンガム市(現在のメッドウェイ市)と姉妹都市になる。横浜横須賀道路が衣笠ICまで開通。
1984年(昭和59年):新市庁舎と教育研究所ができる。平成町の埋め立て工事が始まる。
1985年(昭和60年):4月1日に防災行政無線が開局する。
1987年(昭和62年):市制80周年記念として、倉渕村に「はまゆう山荘」ができる。
1988年(昭和63年):久里浜緑地(現・くりはま花の国)コスモス園開設。
1989年(平成元年):「核兵器廃絶・平和都市宣言」をする。
1990年(平成2年):横浜横須賀道路衣笠IC - 佐原IC間開通。
1992年(平成4年):本町山中有料道路開通。平和モニュメントができる。平成町の埋め立て工事が完了。
1993年(平成5年):ベイスクエアよこすか、総合福祉会館ができる。
1994年(平成6年):2月に横須賀芸術劇場、5月に湘南国際村開設。
1995年(平成7年):よこすかの新しいイメージを考える協議会が「国際海の手文化都市」を提言。
1997年(平成9年):「国際海の手文化都市」を都市像とする横須賀市基本構想を策定。横須賀リサーチパーク (YRP) オープン。
1998年(平成10年):イギリスのメッドウェイ市と姉妹都市になる(4月にジリンガム市とロチェスター市が合併しメッドウェイ市となった)。かながわ・ゆめ国体秋季大会開催。
1999年(平成11年):商工会議 …