新宿区: 歴史
新宿区は、東京市四谷区・牛込区、豊多摩郡内藤新宿町・淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町(5町はいずれも東京市に編入され、内藤新宿町は四谷区域、他の4町は淀橋区となる)を前身とする自治体で、1947年(昭和22年)3月15日に発足した。
1878年(明治11年)11月2日:郡区町村編制法が施行され、東京府は次の15区6郡に区画分けされる。
麹町区・神田区・日本橋区・京橋区・芝区・麻布区・赤坂区・四谷区・牛込区・小石川区・本郷区・下谷区・浅草区・本所区・深川区・荏原郡・南豊島郡・北豊島郡・東多摩郡・南足立郡・南葛飾郡
1889年(明治22年)5月1日:東京府内に市制・町村制が施行される。
東京市発足。以降、四谷区・牛込区など15区はこの東京市に属する。
南豊島郡内に町村(内藤新宿町・淀橋町・大久保村・戸塚村・落合村・他)が発足。
南豊島郡千駄ヶ谷村の一部を四谷区に編入。
南豊島郡早稲田村を牛込区に編入。
南豊島郡下落合村の一部を高田村に編入、飛地を北豊島郡長崎村に編入。
南豊島郡内藤新宿添地町の飛地が四谷区に編入。
1891年(明治24年)3月18日:南豊島郡内藤新宿町の一部(大字内藤新宿一丁目の一部)が東京市に編入され、以降四谷区域の一部となる。
1896年(明治29年)4月1日:南豊島郡と東多摩郡が統合され豊多摩郡となる。
1898年(明治31年)12月1日:淀橋浄水工場(淀橋浄水場)通水。神田・日本橋地区に給水開始。
1912年(大正元年)12月1日:豊多摩郡大久保村が町制施行。大久保町発足。
1914年(大正03年)1月1日:豊多摩郡戸塚村が町制施行。戸塚町発足。
1920年(大正09年)4月1日:豊多摩郡内藤新宿町の全域が東京市に編入され、以降四谷区域の一部となる。
1924年(大正13年)2月1日:豊多摩郡落合村が町制施行。落合町発足。
1932年(昭和7年)10月1日:豊多摩郡淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町が東京市に編入。4町の町域をもって東京市淀橋区発足(この日、東京市には周辺82町村が編入され、淀橋区など20区が新たに発足。東京市域が大幅に拡大したため、以降「大東京市」などと表現されることもある)。
1943年(昭和18年)7月1日:東京都制施行により、東京府と東京市は廃止され東京都が発足。以降、四谷区・牛込区・淀橋区は東京都の行政区となる。
1946年(昭和21年):東京都区域整理委員会(東京都の諮問機関)設置。四谷区・牛込区・淀橋区をはじめとする東京都35区の数を減らすことを目的とした区域再編問題が議論される。最終的には、以下のうち22区移行案を答申。
12区移行案 - 四谷区・牛込区・小石川区(現在の文京区の西側)・淀橋区・豊島区の5区をひとつにする案
22区移行案(25区移行案の修正) - 四谷区・牛込区・淀橋区の3区をひとつにする案(現行の23区とほぼ同じ。練馬区はのちに板橋区から分離するため、この段階での区数は22)
25区移行案 - 四谷区・牛込区・淀橋区の3区をひとつにする案(のちの新宿区域に関しては22区移行案と同じ。違いは、赤坂区と渋谷区の合併、練馬区や玉川区の新設、足立区や江戸川区の区域変更などが盛り込まれていた)
1947年(昭和22年)
3月15日:東京都制第141条により四谷区・牛込区・淀橋区を合併し、3区の区域をもって東京都新宿区発足(東京都の行政区として発足)。区長は東京都長官が任命(3月15日 - 4月12日元成純夫、4月13日 - 5月2日岡田昇三。元成はその後1955年(昭和30年)まで新宿区初代助役として岡田を支える)。新宿区役所は旧牛込区役所(箪笥町、現牛込箪笥区民センター)に置かれる。
5月3日:地方自治法施行により、新宿区は特別区となる。公選により岡田昇三が区長に就任(岡田の区長在任期間は5期20年。1952年(昭和27年)の地方自治法改正により、3期目以降は公選ではなく、区議会が東京都知事の同意を得て選任。なお、岡田は1945年(昭和20年)淀橋区長に任命された経験がある)。
1949年(昭和24年)3月15日:区歌「大新宿区の歌」制定。
1950年(昭和25年)1月1日:区役所を歌舞伎町に移転(1度目の移転)。
1965年(昭和40年)3月31日:淀橋浄水場(角筈三丁目、現座の西新宿二丁目)廃止。浄水場機能は東村山浄水場(東村山市)に移転。以後、跡地は新宿副都心地区として整備計画が本格化する。
1966年(昭和41年)11月21日:区役所新庁舎(現本庁舎、歌舞伎町一丁目)完成し、旧庁舎から移転。業務開始(2度目の移転、現在に至る)。
1967年(昭和42年)
3月15日:区の紋章を制定。
10月6日:任期満了により岡田昇三が区長を引退。
後任の区長には助役の伊藤俊行が内定しており、都知事の同意も得ていた。ところが、伊藤が二重に住民登録をしていることが区議会で問題視されたため区長就任には至らなかった。その後も新たな候補者の選任が難航し、ほぼ1年間にわたり区長が不在となる。
12月17日:助役(伊藤俊行)と収入役が任期満了を迎える。区長が不在のため新たな助役・収入役の任命を行うことができず、翌年の山本区長就任まで空席となる。この助役空席期間における区長職務は、新宿区役所総務部長の内田義雄が代理執行。
1968年(昭和43年)10月4日:新宿区教育委員長の山本克忠が区長に就任(山本の区長在任期間は6期23年。1975年(昭和50年)の地方自治法改正により、3期目以降は公選による。1991年(平成3年)の区長選挙に立候補するも僅差で落選、引退)。
1972年(昭和47年)9月19日:区の花を「つつじ」に、区の木を「けやき」に制定。
1975年(昭和50年)4月1日:新宿中央公園が東京都から新宿区に移管される。
1977年(昭和52年):区役所分庁舎が歌舞伎町(現歌舞伎町一丁目・現第一分庁舎建設地)に完成、業務開始。
1986年(昭和61年):平和都市宣言。
1989年(平成元年)9月18日:区役所第二分庁舎(歌舞伎町一丁目・現本庁舎から30メートル北に位置する建物を賃借)完成、業務開始(すでに第一分庁舎の建設計画が決まっていたため、第二分庁舎と名付けられた)。これに伴い、分庁舎は改築工事のため閉鎖。
1991年(平成3年)
4月1日:東京都庁第一本庁舎・第二本庁舎・都議会議事堂(西新宿二丁目)が完成し、旧都庁舎(千代田区丸の内三丁目・現東京国際フォーラム建設地)から移転完了、業務開始。
4月27日:東京都議会議員の経歴をもつ小野田隆が区長に就任(小野田の区長在任期間は3期11年。2002年(平成14年)に自身の住民税滞納問題が発覚し任期途中に辞職)。
旧分庁舎跡地に区役所第一分庁舎(歌舞伎町一丁目・現第一分庁舎)完成、業務開始。
1994年(平成6年):環境都市宣言。
1995年(平成7年)10月:財政非常事態を宣言。
1997年(平成9年)4月28日:区役所四谷庁舎(内藤町・四谷区民センター内)完成、業務開始。これに伴い、第二分庁舎は廃止。
2000年(平成12年):防衛庁本庁庁舎が港区赤坂九丁目(防衛庁檜町地区。いわゆる六本木庁舎。現在は東京ミッドタウン)から新宿区市谷本村町(防衛庁市ヶ谷地区)に移転完了。
2002年(平成14年)
10月9日:小野田区長が辞職(後任区長の就任までの期間、新宿区助役の高橋和雄が区長職務を代理)。
11月24日:東京都幹部職員の経歴をもつ中山弘子が区長に就任(女性区長の誕生は東京23区初)。
2003年(平成15年)
4月7日:区の「未来特使」に「鉄腕アトム」を任命。
4月25日:2001 - 2002年度の実質単年度収支が黒字となったため財政非常事態宣言を「とりやめる」と発表。
2004年(平成16年)2月9日:区役所第二分庁舎(新宿五丁目・現第二分庁舎)完成、業務開始。これに伴い四谷庁舎は廃止。
2005年(平成17年)8月:ポイ捨て・路上喫煙禁止を定める「新宿区空き缶等の散乱及び路上喫煙による被害の防止に関する条例」を施行。
2012年(平成24年)9月:区役所本庁舎の耐震指標(IS値)が公共施設の目標値0.7を大幅に下回る0.15と判明。震度6で倒壊する可能性が指摘され、区長が2014年度に耐震補強工事を行うことを表明。 …