Heimatgeschichte · Maebashi ·

前橋市: 歴史

前橋市: 歴史

=== 先史 ===
旧石器時代

相沢忠洋によって報告された茂木町三屋の三屋遺跡をはじめとして、旧勢多郡大胡町では水押遺跡(堀越町水押)、一本松遺跡(河原浜町一本松)、上大谷遺跡(上大屋町)といった遺跡から尖頭器などの旧石器が発見されている。
旧勢多郡富士見村の富士見町小暮所替戸、富士見町市之木場松原の関東ローム層中から旧石器が発見されている。
旧勢多郡宮城村では、前橋市指定史跡の枡形遺跡(苗ヶ島町桝形)をはじめとして、石関町、柏倉町、苗ヶ島町泉原から旧石器時代の遺跡が発見されている。
縄文時代

荒砥、桂萱、芳賀、南橘、宮城、粕川、大胡、富士見などの赤城南麓の地域や、総社町総社などで多数の縄文土器や住居跡が発掘されている。
縄文時代の遺跡では、市之関町の市之関縄文前期遺跡、粕川町室沢の大平縄文住居跡遺構、大林縄文住居跡遺構が前橋市指定史跡となっている。
弥生時代

旧市域及び旧大胡町の地域では、縄文時代と比較して弥生時代の遺物の出土はきわめて少ない。とはいえ、荒口町、総社町植野、小神明町、富士見町原之郷、東金丸町などに発掘調査の行われた弥生時代の遺跡が存在する。

古墳時代

前橋市内にはおびただしい数の古墳が所在しており、1935年(昭和10年)の群馬県下一斉調査の結果をまとめ刊行した『上毛古墳綜覧』によれば県下の古墳8423基のうち現在の前橋市内に位置するものは918基である(ただし現在では古墳と認められないものも含んでおり、逆に記載漏れの古墳もある)。
古墳のうち国指定史跡のものが6件11基、群馬県指定史跡のものが5件5基、前橋市指定史跡のものが17件17基ある。
朝倉・広瀬地区の朝倉・広瀬古墳群(国指定史跡2件2基など)、西大室町の大室古墳群(国指定史跡3件4基)、総社地区の総社古墳群(国指定史跡5基)など、大古墳を有する古墳群が各地に見られ、上毛野君、朝倉君、有馬君(阿利真公)等の豪族との関連が指摘されている。
古墳時代の遺物では、前橋天神山古墳出土品が国の重要文化財に指定されている他、カロウト山古墳石棺が中川小学校に、埴輪踊る男子像が芳賀小学校に所蔵され前橋市指定文化財となっている。
三夜沢町に所在する櫃石は、古墳時代の勾玉や土師器も出土する古代祭祀遺跡で、群馬県指定史跡に指定されている。
飛鳥時代

藤原宮跡から「上毛野国車評桃井里大贄鮎」と記した木簡が出土しているが、「車評」とはのちの群馬郡であり、ここに上野国府が置かれた。現在の元総社町周辺、総社神社から関越自動車道の一帯が、国府の区域と推定されている。
総社町総社の山王廃寺跡は国の史跡に指定されている古代寺院跡で、上毛野氏のような有力豪族の氏寺で、当時は「放光寺」という名前だったと考えられている。
奈良時代

上野国分寺・国分尼寺は群馬郡に置かれ、元総社町から高崎市東国分町・引間町にかけて国指定史跡上野国分寺跡が位置し、その約500メートル東に国分尼寺が存在したと考えられている。
国郡里制において現在の前橋市に含まれる地域としては那波郡、勢多郡、群馬郡があげられるが、平安時代の『倭名類聚抄』には那波郡7郷、勢多郡9郷、群馬郡13郷が記載されているので、その一部が前橋市内に該当すると考えられる。
平安時代

赤城神社は『続日本後紀』承和6年(839年)に赤城神が従五位下の神階を授けられたとあるのが史書における初出で、『延喜式』神名帳には勢多郡の名神大社として記載されているが、論社は前橋市内に複数存在する。
平将門の乱では上野国府が平将門軍に占領された。
女堀は平安時代後期に掘られた未完成の灌漑用水路跡で、市内の富田町、二之宮町、飯土井町、東大室町および伊勢崎市下触町に分散して残る遺構が国の史跡に指定されている。

鎌倉時代

『義経記』『平家物語』『平治物語』といった鎌倉時代成立の軍記物語には上野国の武士として「大胡太郎」「大室太郎」などの名が登場し、『吾妻鏡』においても大胡太郎をはじめとする大胡氏の御家人が現れる。
前橋市内に存在した中世の荘園としては、拝志庄、大室庄、青柳御厨、細井御厨の名が史料上確認できる。
粕川流域の赤城南麓に、中世の多宝石塔で塔身が甕形の特徴を有するものが分布していることから、これらを赤城塔と称する。小鳥が島の宝塔(応安5年(1372年)、富士見町赤城山)が塔下より出土した鏡及び経筒残決とともに群馬県指定重要文化財に指定されているほか、山王の宝塔(南北朝時代、山王町)、二宮赤城神社の宝塔(南北朝時代、二之宮町)、富田の宝塔(室町時代、富田町)、大福寺の宝塔(応永25年(1418年)、鳥羽町)、観昌寺の宝塔(南北朝時代、西大室町)、江木の宝塔(室町時代、江木町)、宿の平の宝塔(元享4年(1324年)、苗ヶ島町)、小林の赤城塔(苗ヶ島町)、鼻毛石の宝塔(南北朝時代、鼻毛石町)、三夜沢赤城神社の宝塔(三夜沢町)、赤城塔(並木道祖神)(苗ヶ島町)、三ケ尻の宝塔(鎌倉時代、粕川町深津)、珊瑚寺の多宝塔(室町時代、富士見町石井)、時沢の多宝塔(南北朝時代、富士見町時沢)が前橋市指定重要文化財となっている。
南北朝時代
室町時代

蒼海城(元総社町)は千葉常胤が築き、関東長尾氏の祖で上野守護代を務めた長尾景忠の子、景行が永享年間に奥州釜田城から移ったと『上毛伝説雑記拾遺』は伝える。景行の子忠房が惣社長尾氏の祖とされる。
永禄3年(1560年)上杉謙信は関東に侵攻し厩橋城に入る。謙信が厩橋城に置いた武将は北条高広で、高広の寄進状が前橋八幡宮、三夜沢赤城神社、善勝寺などに残っている。
『甲陽軍鑑』によれば永禄10年(1567年)10月、北条氏康の軍3万5千、武田信玄の軍2万が上杉謙信の在城していた厩橋城に押し寄せ、城下の町を焼き払ったとする。
永禄9年(1566年)箕輪城の落城以降、利根川以西は殆ど武田信玄の支配下に入り、武田信玄は元亀2年(1572年)正月末から閏正月にかけて利根川東岸から石倉城を攻める上杉謙信と対峙している。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡したことにより織田氏の勢力が上野に入り、厩橋城には滝川一益が入ったが、本能寺の変後神流川の戦いが発生し一益は敗走した。
天正18年(1590年)徳川家康の関東入封により、平岩親吉が厩橋に、牧野康成が大胡に封ぜられ、文禄元年(1592年)諏訪頼水が総社に封ぜられた。

江戸時代 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „前橋市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: アラツク, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons